俵屋宗理たわらやそうり

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 生年:生没年不詳
江戸中期の画家。江戸に住む。元知と称し,号は 柳々 居,百琳,百琳斎など。一説に天明2(1782)年没。絵ははじめ幕府の御用絵師住吉家に学んだが,のち俵屋宗達や尾形光琳など京都の琳派の画家に私淑する。画風は豪華な京風琳派から瀟洒な江戸風への移行がうかがえ,江戸琳派の先駆となる。代表作「楓図屏風」(萬野美術館蔵)。俳書『世諺拾遺』(1758)に挿絵を描くなど,江戸市井の文化人らとも広く交遊する。なお,葛飾北斎が一時期2代目俵屋宗理を名乗った。3代目は北斎門人の宗二。<参考文献>山根有三他編『琳派絵画全集 抱一派』

俵屋宗理(たわらや そうり)

概要

**俵屋宗理(生没年不詳)**は、江戸時代前期に活躍した画家・意匠家です。
特に、**琳派(りんぱ)**の前身を形成した存在として知られ、
装飾的で洗練された画風の「やまと絵」や「扇絵(おうぎえ)」を数多く制作しました。

「俵屋宗理」という名は、後の尾形光琳(おがた こうりん)や酒井抱一(さかい ほういつ)ら琳派の絵師たちにも大きな影響を与えたと考えられています。

生涯

生年・没年:不詳
俵屋宗理の正確な生没年は分かっていません。
活動時期は、寛文年間(1661年~1673年)から元禄年間(1688年~1704年)頃と推定されています。
出自
「俵屋」というのは屋号であり、京都の画工・扇屋の家系に連なるともいわれます。
つまり、もともと商業的な扇絵や装飾画を手がける職業的画工だった可能性が高いです。
宗理の名について
宗理という号は、後に尾形光琳も名乗ったことがあり、
「俵屋宗理」という名前自体がある種の芸術家称号のように継承された節もあります。
(そのため、一部では俵屋宗理と尾形宗理(光琳)が混同されることもあります)
作風と特徴

洗練された装飾美
宗理の作品は、極めてシンプルな線と形、そして大胆な構成によって、装飾的な美しさを追求しています。
扇絵の名手
宗理はとくに「扇面」(扇の形に合わせた絵画)を数多く手がけました。
そのデザイン性の高さ、空間の使い方は後世の琳派に直接つながっています。
やまと絵の現代化
平安時代以来の「やまと絵」様式を、より現代的(当時の感覚で)にアレンジし、
流麗で洒脱な表現を確立しました。
テーマ性
季節の花鳥、恋愛、風景など、古典的なモチーフを粋にまとめ上げるセンスがありました。
現存作品・代表作

扇絵「柳に鷺図(やなぎにさぎず)」
流れるような柳の枝と、静かにたたずむ白鷺を描いた作品。
余白を生かした構図が非常に洗練されています。
「四季草花図」
扇面に、春夏秋冬の花々を繊細に描き分けた作品群。
「人物扇面絵」
女性の立ち姿や、恋文を交わす場面などを扇形に仕立てた洒落た図様。
※ 宗理名義の作品は比較的少なく、また真筆かどうかをめぐる議論もありますが、いずれも琳派の源流を思わせるものです。

後世への影響

琳派の成立に直結
宗理の洗練された意匠は、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一(すずき きいつ)らに強く影響を与えました。
特に、尾形光琳が「宗理」の名を一時名乗ったことは、俵屋宗理への尊敬の証と見なされています。
デザイン感覚の源流
近世の日本美術における「意匠性」「装飾性」の流れは、俵屋宗理に端を発するという見方もあります。
まとめ

江戸前期に活躍した画家・意匠家
洗練された扇絵、やまと絵を制作
流麗な線と大胆な構成で装飾美を追求
琳派(光琳・抱一ら)に大きな影響を与えた
生涯や人物像には謎が多いが、日本美術史における重要人物