鳥居清倍とりいきよます
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 鳥居 清倍(とりい きよます、元禄7年〈1694年〉? - 享保3年〈1718年〉?)とは、江戸時代初期の浮世絵師。 鳥居清倍(とりい きよます) 概要 **鳥居清倍(生没年不詳)**は、江戸時代中期(18世紀前半)に活躍した浮世絵師で、 鳥居派の二代目とされる重要な存在です。 彼は初代・鳥居清信(とりい きよのぶ)の後を継ぎ、役者絵・芝居絵の伝統を引き継ぎながら、さらに発展させた功績で知られています。 特に、鳥居派特有の「堂々たる役者像」を完成させ、 後の鳥居清長(とりい きよなが)や東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)にも続く「役者絵表現の礎」を築きました。 生涯 生年・没年 正確な生年・没年は不詳です。 ただし活動時期から、**元禄末期(1700年頃)から享保年間(1716~1736年頃)**にかけて活躍したと推測されます。 出自 鳥居清信の実子、もしくは直弟子であったと考えられています。 活動拠点 江戸(日本橋、浅草界隈)を中心に活躍しました。 芝居小屋にかかわる看板絵や芝居番付の制作にも従事していました。 作風と特徴 力強く、堂々たる役者表現 鳥居清信が始めた太い輪郭線と力強い構図をさらに洗練させ、役者の豪放な魅力や存在感を強調しました。 誇張されたポーズと衣装 清倍の描く役者たちは、大きく広がる衣装や、誇張されたポージングが特徴的です。 舞台上の「見得(みえ)」をそのまま視覚化したような表現です。 顔立ちや髪型の写実性 役者個人の特徴を表現しようとする意識が見られ、似顔絵表現への萌芽が感じられます。 (これが後の写楽の似顔表現の源流になります) 制作媒体 版画だけでなく、肉筆画(直接筆で描いた一点もの)も多く制作しました。 特に肉筆画では、より自由で豪華な描写が見られます。 主な制作ジャンル 役者絵(芝居絵) 当時の人気歌舞伎役者たちを、芝居の一場面を切り取る形で描きました。 芝居番付・興行広告絵 歌舞伎興行の告知に使われた番付絵、看板絵も制作。 (鳥居派の大事な家業です) 団扇絵・掛け物 団扇(うちわ)に刷った役者絵や、掛け軸用の肉筆浮世絵も手がけています。 代表作 『市川団十郎図』 荒事(あらごと)芸を得意とした初代市川団十郎の豪壮な姿を描いたもの。 力強い構図と堂々たる人物表現が特徴。 『歌舞伎役者揃図』 当時の人気役者を複数人一枚にまとめた役者絵。衣装や表情に個性があり、賑やかな仕上がり。 肉筆『役者立姿図』 額装用に制作された一点ものの肉筆画。彩色が丁寧で豪華。 鳥居派内での位置づけ 鳥居派の二代目リーダー 鳥居清信のスタイルを継承しつつ、さらに役者絵の表現力を高めた存在です。 舞台と浮世絵の結びつき強化 歌舞伎のリアルな舞台芸術と、庶民のための絵画(浮世絵)を結びつける役割を果たしました。 後代への影響 鳥居清長(細身の長身美人画で有名)にも間接的に影響を与え、 また東洲斎写楽のリアリスティックな役者表現のルーツにもつながると考えられています。 まとめ 江戸時代中期に活躍した浮世絵師、鳥居派二代目 太く力強い線で、舞台の役者たちを豪快に表現 役者の個性をとらえたリアリティのある表現を志向 芝居小屋の看板絵や番付制作でも大きな役割を果たした 鳥居派の伝統を確立し、後世の役者絵に影響を与えた |