鳥居清信とりいきよのぶ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 鳥居 清信(とりい きよのぶ、寛文4年〈1664年〉 - 享保14年7月28日〈1729年8月22日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。鳥居派の祖。

鳥居清信(とりい きよのぶ)

概要

鳥居清信(生年:1664年?、没年:1729年?)は、江戸時代前期〜中期に活躍した浮世絵師・看板絵師です。
鳥居派の創始者とされ、特に**役者絵(芝居絵)**において大きな功績を残しました。
後の東洲斎写楽や歌川国芳に連なる「役者絵の伝統」の源流を築いた存在です。

生涯

生年・出自
正確な生年や出身地は不明ですが、一般には1664年頃生まれと推定されています。
若い頃から江戸で活動しており、芝居町(現在の日本橋・浅草近辺)に深く関わっていました。
活動時期
元禄期(1688年~1704年)から正徳期(1711年~1716年)にかけて活躍したと考えられます。
没年
1729年頃に没したとされています。
後継者
鳥居清倍(きよます)、鳥居清広(きよひろ)らが彼の流れを継ぎ、鳥居派を発展させました。
作風と特徴

役者絵(芝居絵)の確立者
当時人気だった歌舞伎役者を描く「役者絵」というジャンルを本格的に成立させたのが、鳥居清信です。
力強く、太い輪郭線
登場人物の輪郭を太くはっきりと描き、舞台上での迫力を伝える表現が特徴です。
単色摺り+手彩色(丹絵・墨摺絵)
まだ多色摺り(錦絵)は発明されていない時代であり、墨一色の版画に赤丹などを手で彩色する「丹絵(たんえ)」の形式で制作されました。
衣装や髪型の豪華なデザイン
歌舞伎の舞台衣装を誇張して描き、観る者に豪華さや華やかさを強く印象付ける画風です。
肉筆画も制作
版画だけでなく、肉筆(直接筆で描く)の役者絵もいくつか現存しています。
主な役割と影響

芝居小屋の看板絵制作
清信は版画だけでなく、江戸の歌舞伎小屋(中村座、市村座、森田座など)の看板絵を描く仕事も担っていました。
この「芝居看板制作」は鳥居派の伝統的な家業となり、後世まで続きました。
役者の似顔表現の先駆
清信の役者絵は、単なる登場人物の描写だけでなく、役者本人の顔立ちや特徴を意識した似顔表現への道を開きました。
これが後の東洲斎写楽のリアルな似顔役者絵につながります。
鳥居派の創設者
鳥居派は、清信を祖とし、江戸浮世絵の大きな一派となりました。
特に「役者絵といえば鳥居派」という時代が長く続きました。
現存する代表作

『市川団十郎図』
初代市川団十郎(荒事芸の名手)を描いた丹絵。太い線と力強いポーズが特徴的。
『坂東三津五郎の曽我五郎図』
歌舞伎「曽我物語」に取材し、華麗な衣装をまとった役者を描いています。
『風俗三十二相』の先駆的表現
直接このタイトルではないものの、当時の風俗・芝居風景を記録的に描いたものもあります。
歴史的評価

役者絵の基礎を築いた功績
清信がいなければ、後の写楽、豊国、国芳らのリアリティ溢れる役者絵も生まれなかったといわれています。
浮世絵史の中の起点的存在
「華やかな芝居文化」「江戸庶民の娯楽」と深く結びついた浮世絵文化を、ビジュアル面で支えた先駆者です。
鳥居派の礎を築いた
鳥居清信のスタイルは、以後100年以上にわたり江戸歌舞伎と浮世絵界に影響を与えました。
まとめ

江戸時代前期〜中期に活躍した浮世絵師・看板絵師
浮世絵役者絵の確立者であり、太い輪郭線の力強い画風が特徴
芝居小屋の看板絵制作も担い、鳥居派の家業となった
鳥居派創設者として、後世の浮世絵界に多大な影響を与えた