鳥文斎栄之ちょうぶんさいえいし
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 鳥文斎 栄之(ちょうぶんさい えいし、宝暦6年〈1756年〉 - 文政12年7月2日〈1829年8月1日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師、旗本。寛政から文化文政期にかけて活躍、武家出身の浮世絵師らしく、清楚で慎ましやかな全身美人画で人気を博した。 鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし、1756年〈宝暦6年〉–1829年〈文政12年〉)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、美人画を中心に多彩な作品を残しました。旗本出身という異色の経歴を持ち、上流階級の美意識を反映した気品ある作風で知られています。 生涯と経歴 栄之の本名は細田時富(ほそだ ときとみ)で、江戸の旗本・細田家に生まれました。17歳で家督を継ぎ、将軍徳川家治の小納戸役として仕え、御用絵師の狩野栄川院典信に師事しました。その後、浮世絵師としての道を歩み始め、1789年(寛政元年)に隠居して本格的に作画活動に専念しました。 作風と代表作 栄之は、細身で優雅な「12頭身美人像」を描く独自の様式を確立しました。また、派手な紅色を避けた「紅嫌い(べにぎらい)」と呼ばれる淡い色彩の表現も特徴です。代表作には、『青楼美人六花仙』や『風流やつし源氏』などがあります。 肉筆画への転向と晩年 寛政10年(1798年)頃から、栄之は錦絵の制作を控え、肉筆画に専念するようになりました。これは、幕府の出版統制や自身の出自を考慮した結果とされています。1800年には、隅田川の風景を描いた作品が後桜町上皇に献上され、栄之は「天覧」の印章を作成しました。 栄之の評価と展覧会 栄之は、同時代の喜多川歌麿と並び称される美人画の名手として評価されています。2024年には、千葉市美術館で世界初の大規模な回顧展「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」が開催され、国内外から多くの作品が集められました。 鳥文斎栄之は、武家出身という背景を持ちながら、浮世絵の世界で独自の美意識を表現した希少な存在です。その作品は、現在でも多くの美術館や展覧会で鑑賞することができます。 |