鳥居清長とりいきよなが

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 鳥居 清長(とりい きよなが、 宝暦2年〈1752年〉 - 文化12年5月21日〈1815年6月28日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。鳥居派四代目当主。鳥居派の代表的な絵師。
鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、それらや後の写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人。特に堂々たる八頭身の美人画で、今日世界的に高く評価されている。

鳥居清長(とりい きよなが、1752年 - 1815年)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師で、美人画の名手として知られています。​彼は鳥居派の第4代当主であり、写実的で健康的な美人像を描く独自の様式「清長美人」を確立しました。​

生涯と背景

鳥居清長は、江戸の本材木町一丁目の書肆(しょし)白子屋市兵衛の子として生まれ、姓は関(一説に関口)、俗称は新助、のちに市兵衛と称しました。​彼は鳥居派の3代目である鳥居清満に師事し、1767年(明和4年)頃から鳥居派の伝統的な筆法を用いた細判紅摺絵の役者絵を発表しました。​その後、黄表紙など版本の挿絵や美人風俗画の制作にも取り組み、次第に写生に基づく独自の様式を確立していきました。 ​

作風と代表作

鳥居清長の美人画は、背が高くすらりとした八等身の健康的で生命力にあふれる女性像が特徴で、これが「清長美人」と称されました。​彼の代表作には、以下の三大揃物があります:​

『当世遊里美人合(とうせいゆうりびじんあわせ)』
『風俗東之錦(ふうぞくあずまのにしき)』
『美南見十二候(みなみじゅうにこう)』​

これらの作品では、江戸の実景を背景に女性群像を巧みに表現し、大判の錦絵を複数枚繋げる形式の続絵を用いるなど、斬新な試みがなされています。 ​

鳥居派の継承と晩年

1787年(天明7年)頃、師である鳥居清満の死去に伴い、鳥居清長は鳥居派の第4代当主を継承しました。​これ以降、彼は鳥居家の家業である看板絵や番付絵の制作に専念し、一枚絵の制作からは徐々に離れていきました。​しかし、肉筆画や絵本・艶本にも優れた手腕を発揮し、ボストン美術館所蔵の『柳下納涼図』などの作品が知られています。 ​

影響と評価

鳥居清長は、勝川春潮や窪俊満など天明期の多くの絵師に影響を与え、喜多川歌麿や鳥文斎栄之ら次代の絵師にも大きな影響を及ぼしました。​彼は、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重と並ぶ「六大浮世絵師」の一人として評価されています。 ​