菱川師宣ひしかわもろのぶ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ、元和4年〈1618年〉 - 元禄7年6月4日〈1694年7月25日〉)とは、近世日本の画家。江戸初期に活動した浮世絵師の一人。生年は寛永7-8年(1630年-1631年)ともいわれる。享年64-65あるいは77。浮世絵を確立した人物であり、すなわち最初の浮世絵師である。 菱川師宣(ひしかわ もろのぶ) 概要 生没年:生年不詳(1620年頃とも)~1694年(元禄7年) 出身地:安房国(現在の千葉県鋸南町保田) 職業:浮世絵師 代表作:「見返り美人図」「歌舞伎役者図」など 菱川師宣は、浮世絵版画の確立者・浮世絵の開祖と称される重要な人物です。 それまで肉筆画中心だった浮世絵を、庶民が手軽に楽しめる「版画」として普及させた最初の絵師として知られます。 生涯と背景 出自と修業 菱川師宣は、現在の千葉県鋸南町保田(ほた)に生まれたとされます。 若い頃に江戸へ出て、当時の画壇(特に狩野派や土佐派)から技法を学びつつ、町人文化の中で新しい絵画スタイルを模索しました。 浮世絵師としての活動 17世紀後半、師宣は江戸庶民の生活感や娯楽、特に遊女や歌舞伎役者の姿を描く浮世絵を発展させました。 それまでは一部の富裕層が楽しむ高価な肉筆画が主流でしたが、師宣は木版による量産技術を用い、広く町人層にも親しまれる芸術としての浮世絵版画を確立しました。 晩年 師宣は元禄時代(1688年~1704年)の華やかな町人文化を体現する存在でしたが、1694年に没しました。 作風と特徴 1. 浮世絵版画の確立 師宣の最大の功績は、木版技術を用いて浮世絵を大量生産できるようにしたことです。 これにより、町人たちが手軽に美しい絵を楽しむ文化が生まれました。 2. 題材の革新 遊女、町娘、歌舞伎役者、町の風景など、それまで絵画の題材にされにくかった庶民生活を積極的に描きました。 特に遊里(吉原)や芝居町(中村座など)を題材にした作品が人気でした。 3. 典型的な美人表現 師宣が描く美人は、丸顔に細身の体、なめらかな着物の線を特徴としています。 この様式は後の浮世絵美人画の基本形となりました。 4. 肉筆画と版画の両立 菱川師宣は肉筆画(手描き)でも優れた作品を残しており、版画だけでなく絵師としての技量も非常に高かったことがわかります。 主な代表作 「見返り美人図」 振り返る姿の美人を描いた名作。 美人画の代表的イメージとなり、現代でも切手に採用されるなど、日本文化を象徴する存在。 なめらかな着物のラインと、自然なポーズが高く評価されています。 「歌舞伎役者図」シリーズ 当時人気のあった役者たちを活き活きと描写。 「役者絵」というジャンルの草分けともなりました。 「浮世絵春画」 師宣は春画(大人向けの浮世絵)も多く手掛けています。 これらも庶民文化の一端を担いました。 菱川師宣の影響 師宣の活動によって、浮世絵は庶民の娯楽となり、爆発的に普及しました。 後の奥村政信、鈴木春信、鳥居清倍など、数々の浮世絵師たちが師宣のスタイルを引き継ぎ、さらに発展させました。 彼の確立した美人画や役者絵の形式は、19世紀末に世界に広まったジャポニスム(日本趣味)にも影響を与えています。 まとめ 菱川師宣は、 浮世絵版画を本格的に成立させ 庶民文化と芸術を結びつけ 美人画・役者絵の基礎を築いた 「浮世絵の開祖」です。 今日私たちが知る華やかな浮世絵文化の源流は、師宣の革新によって生まれたものだといえるでしょう。 |