信海僧しんかい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 江戸前期の画人・僧。石清水八幡宮豊蔵坊の社僧。名は孝雄、号は信海、別号に覚花洞・玉雲子等。狂歌を好む。元禄元年(1688)寂、54才。

信海(しんかい、1821年〈文政4年〉–1859年〈安政6年〉)は、江戸時代後期の法相宗の僧侶であり、勤王僧として幕末の尊王攘夷運動に関わった人物です。​兄は同じく勤王僧として知られる月照(げっしょう)で、兄弟ともに清水寺成就院の住職を務めました。​


生涯と背景
信海は大阪の町医者の子として生まれ、幼少期に叔父である清水寺成就院の住職・蔵海上人のもとで出家しました。​兄の宗久(後の月照上人)とともに清水寺の財政再建に尽力し、兄の後を継いで成就院の25代住職となりました。​彼は高野山で真言密教の修法を学び、尊王攘夷の祈祷を行うなど、政治的にも活動を広げました。 ​


勤王活動と最期
信海は、兄・月照とともに尊王攘夷運動に関わり、青蓮院門跡尊融法親王や近衛忠煕らと連携して活動しました。​しかし、幕府からの嫌疑を受け、安政の大獄の際に捕らえられ、1859年に江戸で獄死しました。​享年39歳でした。 ​


遺跡と顕彰
信海と月照の誕生地である香川県善通寺市には、両上人の誕生を記念する碑が建てられています。​また、清水寺成就院には、両上人の遺墨や肖像が残されており、彼らの勤王活動を今に伝えています。 ​
香川県琴平町 湯元こんぴら温泉 華の湯(はなのゆ)こんぴら温泉郷

信海は、兄・月照とともに幕末の尊王攘夷運動に身を投じた僧侶であり、その生涯は清水寺成就院や香川県善通寺市の史跡に今も刻まれています。​彼の活動は、幕末の動乱期における宗教者の政治的関与を示す貴重な例といえるでしょう。