柳亭種彦りゅうていたねひこ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 柳亭 種彦(りゅうてい たねひこ、天明3年5月12日(1783年6月11日)- 天保13年7月19日(1842年8月24日))は、江戸時代後期の戯作者。長編合巻『偐紫田舎源氏』などで知られる。

柳亭種彦(りゅうてい たねひこ、1783年5月12日 – 1842年8月24日)は、江戸時代後期を代表する戯作者であり、特に合巻(ごうかん)形式の小説で知られています。​本名は高屋彦四郎知久(たかや ひこしろう ともひさ)で、江戸幕府の旗本の家に生まれました。​彼の代表作『偐紫田舎源氏(にせむらさき いなかげんじ)』は、当時のベストセラーとなり、江戸の出版文化に大きな影響を与えました。​


生涯と背景

柳亭種彦は、江戸の下谷御徒町に生まれ、14歳で父を亡くし家督を継ぎました。​彼は病弱で武芸には不向きでしたが、学問や芸術に秀で、国学や狂歌、俳諧、中国画などを学びました。​また、歌舞伎を好み、役者の台詞の真似も得意だったと伝えられています。 ​


文学活動と代表作

『偐紫田舎源氏』
種彦の代表作『偐紫田舎源氏』は、紫式部の『源氏物語』を翻案し、室町時代を舞台にした長編合巻です。​1829年から1842年にかけて全38編が刊行され、歌川国貞(のちの三代目豊国)による美麗な挿絵とともに、特に女性読者の間で大人気となりました。 ​


この作品は、当時の将軍・徳川家斉と大奥を風刺しているとの噂が広まり、天保の改革により版木が没収され、発禁処分となりました。​この処分が種彦の死因の一因とされています。 ​


その他の作品
種彦は他にも『正本製』『山嵐』『用捨箱』『浮世形六枚屏風』などの作品を著し、特に『浮世形六枚屏風』は1847年にオーストリアの東洋学者アウグスト・フィツマイヤーによってドイツ語に翻訳され、日本文学が欧州に紹介されるきっかけとなりました。 ​


芸術家との交流

種彦は、葛飾北斎や歌川国貞といった当時の著名な浮世絵師と親交があり、作品の挿絵を依頼するなど、文学と美術の融合を図りました。​特に北斎とは親しい交流があり、書画会を共に開催するなどの記録が残っています。 ​


最期と影響

天保の改革による出版統制の影響で、『偐紫田舎源氏』が発禁となり、種彦はそのショックから病を患い、1842年に亡くなりました。​彼の死後、門人の笠亭仙果が遺作を整理し、未完の作品『邯鄲諸国物語』を完成させました。​種彦の作品は、江戸時代の庶民文化や出版文化を理解する上で貴重な資料となっており、現在も研究の対象とされています。 ​


柳亭種彦は、江戸時代後期の文学と文化を代表する人物であり、その作品は当時の社会や風俗を映し出す鏡として、現代においても高く評価されています。​彼の文学と芸術への貢献は、日本の文化史において重要な位置を占めています。​