秋山玉山あきやまぎょくざん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 秋山 玉山(あきやま ぎょくざん、1702年7月23日(元禄15年6月29日) - 1764年1月14日(宝暦13年12月12日))は、江戸時代中期の漢学者。名は定政、儀。字は子羽。通称は半次、儀右衛門。熊本藩士中山定勝の次男として豊後国鶴崎で生まれる。母は篠田氏。子のいなかった叔父秋山需庵の養子となり、秋山姓を名乗る。 秋山玉山(あきやま ぎょくざん、1702年〈元禄15年〉–1763年〈宝暦13年〉)は、江戸時代中期の儒者・漢詩人であり、熊本藩に仕えた学者として知られています。名は定政、字は子羽、通称は儀右衛門、別号に青柯があります。豊後国鶴崎(現在の大分県大分市)で熊本藩士・中山定勝の次男として生まれ、叔父・秋山需庵の養子となり、秋山姓を継ぎました。 学問と経歴 秋山玉山は、江戸の昌平黌で学び、朱子学を中心とした儒学を修めました。その後、熊本藩の藩校である時習館の教授として、多くの門弟を育成しました。彼の教育は厳格でありながらも温厚で、門人たちから深く尊敬されていたと伝えられています。 漢詩と文人活動 玉山は、漢詩の分野でも高い評価を受けており、江戸時代中期の代表的な漢詩人の一人とされています。彼の詩風は、清新でありながらも深い情趣を湛えており、当時の詩壇において重要な位置を占めていました。また、細井平洲などの同時代の文人たちと親交を結び、詩文を通じた交流を行っていました。 人柄と逸話 玉山は、学識だけでなく人柄にも優れ、特に人情に厚い人物として知られていました。彼の門人や友人たちは、玉山の誠実で温和な性格を高く評価しており、その影響は後世にも及びました。 主な著作と作品 『玉山先生遺稿』:玉山の詩文を集めた遺稿集で、彼の文学的才能を示す重要な資料です。 『陽関遺音』:詩文集であり、玉山の詩風や思想を理解する上で貴重な作品とされています。 秋山玉山は、江戸時代中期の儒学と漢詩の発展に大きく寄与した人物であり、その学問と人柄は、当時の知識人たちに深い影響を与えました。彼の遺した詩文や教育の精神は、現在でも研究の対象となっており、日本の文学史や教育史において重要な位置を占めています。 |