西依成斉にしよりせいさい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 江戸後期の儒者。肥後生。名は周行・政固、字は潭明・成斎は号。京都に出て若林弘斎に学ぶ。寛政9年(1797)歿、96才。 西依成斎(にしより せいさい、1702年〈元禄15年〉9月3日 – 1797年〈寛政9年〉7月27日)は、江戸時代中期の儒学者であり、山崎闇斎派の学統を受け継ぐ朱子学者として知られています。 生涯と学問的背景 西依成斎は、肥後国玉名郡富尾村(現在の熊本県玉名市)に生まれました。幼少期から学問に励み、8歳で肥後実学の祖・大塚退野の門に入りました。その後、京都に上り、若林強斎の私塾「望楠軒」で朱子学を学びました。強斎の没後は、望楠軒を継承し、学問の普及に努めました。 小浜藩との関わり 西依成斎は、若狭国小浜藩(現在の福井県小浜市)から賓師として迎えられ、藩の儒官として仕えました。この地で多くの門人を育成し、藩の教育に貢献しました。 著作と教育活動 西依成斎の主な著作には、『論語講義』『中庸師説』などがあります。これらの著作は、朱子学の教義を平易に解説し、学問の普及に寄与しました。また、彼の門下からは、鈴木尋思斎・奥野寧斎・川島栗斎・山口菅山・古賀精里など、多くの学者が輩出されました。 書道と文化的影響 西依成斎は、書家としても知られ、その書風は力強く気骨あるものでした。彼の書は、現在も掛軸や書幅として残されており、書道愛好家の間で高く評価されています。また、彼の生誕300年を記念して、図録『成斎・西依周行 気骨の書』が刊行されるなど、その文化的影響は現在も続いています。 西依成斎は、朱子学の普及と教育に尽力し、多くの門人を育てたことで、江戸時代中期の学問界に大きな影響を与えました。その業績は、現在も評価され続けています。 |