片山北海かたやまほっかい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 片山 北海(かたやま ほっかい、享保8年1月10日(1723年2月14日) - 寛政2年9月12日(1790年10月19日))は、江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人である。京都の江村北海、江戸の入江北海とともに三都の三北海と称された。
名を猷、字は孝秩、通称を忠蔵、号は北海の他に堂号でもある孤松館がある。大坂で混沌詩社などを興して、頼春水、尾藤二洲、古賀精里、木村蒹葭堂など多くの優れた門弟を輩出した。

片山北海(かたやま ほっかい、1723年2月14日(享保8年1月10日) - 1790年10月19日(寛政2年9月12日))は、江戸時代中期の儒学者・漢詩人であり、特に大坂を拠点に活躍した文化人です。​


基本情報

本名:​片山 猷(かたやま ゆう)
字(あざな):​孝秩(こうちつ)
通称:​忠蔵(ちゅうぞう)
号:​北海(ほっかい)、孤松館(こしょうかん)
出身地:​越後国弥彦村(現在の新潟県西蒲原郡弥彦村)
没地:​大坂(現在の大阪市)​

生涯と学問

片山北海は、越後国弥彦村の農家に生まれ、幼少期から四書五経を学びました。​18歳で京都に上り、折衷学派の宇野明霞に師事し、6年間学問を修めました。​師の死後、大坂に移り、儒学塾を開いて多くの門弟を育てました。​その中には、頼春水、尾藤二洲、古賀精里、木村蒹葭堂など、後に著名となる人物が含まれています。 ​


文化活動と詩社

1764年(明和元年)、片山北海は大坂で詩社「混沌詩社」を創設し、盟主として活動しました。​この詩社は、大坂で最も盛んな詩社となり、多くの文人が集いました。​また、彼の居宅は「孤松館」と称され、文人墨客が集うサロンとして知られました。 ​


書と詩の作品

片山北海は、漢詩や書の分野でも高い評価を受けています。​彼の書は、力強くも品格のある筆致で知られ、現在も掛軸などが古美術市場に出回っています。​また、池大雅の「風竹図」には、片山北海の賛が添えられており、彼の詩文の才能を示す一例です。​

墓所と遺産

片山北海の墓所は、大阪市天王寺区にあります。​彼の教えや作品は、江戸時代中期の儒学や漢詩の発展に大きく寄与し、現在もその影響は続いています。 ​

片山北海は、江戸時代中期の大坂を中心に、儒学者・漢詩人として多くの門弟を育て、文化活動を通じて当時の文人社会に大きな影響を与えました。​彼の作品や教えは、今なお日本の文化史において重要な位置を占めています。​