安積澹泊あさかたんぱく

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 安積 澹泊(あさか たんぱく、明暦2年11月13日(1656年12月28日) - 元文2年12月10日(1738年1月29日))は、江戸時代中期の儒学者。諱は覚、字は子先、幼名は彦六、通称は覚兵衛、号は澹泊、澹泊斎、晩年は老圃、老圃常山、老牛など。物語『水戸黄門』に登場する渥美格之進のモデルとされている。

​安積澹泊(あさか たんぱく、1656年11月13日〈明暦2年〉– 1738年1月29日〈元文2年〉)は、江戸時代中期の朱子学派の儒学者であり、水戸藩に仕えて『大日本史』の編纂に尽力した人物です。​彼の通称は覚兵衛、諱は覚(さとる)、字は子先、号は澹泊、晩年には老圃(ろうほ)とも称しました。​また、講談やドラマで知られる「水戸黄門」の格さん(渥美格之進)のモデルともされています。​

生涯と学問

澹泊は水戸城下に生まれ、幼少期から父・安積貞吉の影響で儒学に親しみました。​10歳のとき、徳川光圀が招聘した明の遺臣・朱舜水に入門し、江戸で学びました。​朱舜水は澹泊の才能を高く評価し、「日本に来て句読を授けた者は多いが、よくこれを暗記し、理解したのは彦六(澹泊の幼名)だけだ」と称賛しました。​その後、水戸藩の大番組、小納戸役、唐物奉行などを歴任し、28歳で彰考館に入りました。​元禄6年(1693年)には彰考館総裁に就任し、『大日本史』の編纂において中心的な役割を果たしました。​

主な業績と著作

『大日本史』の編纂:​澹泊は『大日本史』の編纂に55年にわたり従事し、特に本紀・列伝の校訂や「論賛」の執筆を担当しました。​享保5年(1720年)には『大日本史』を完成させ、江戸幕府に進献しました。​

『烈祖成績』:​徳川家康の伝記である『烈祖成績』の編集を担当し、享保17年(1732年)に完成させました。​

その他の著作:​『澹泊斎文集』『湖亭渉筆』『老圃詩稿』『朱文恭遺事』『大日本史賛藪』『神祖遺事』など、多くの詩文集や史論を著しました。​

人物像と評価

澹泊は博学で詩文にも優れ、新井白石や室鳩巣らと親交がありました。​彼は学問に対して厳格でありながらも、私生活では菊づくりを趣味とするなど、穏やかな一面も持ち合わせていました。​その人柄は、同僚の佐々宗淳が「おおらかで正直、細かいことにこだわらない」と評しています。​

晩年と顕彰

享保18年(1733年)に致仕した後も、彰考館の業務に関わり続け、83歳で水戸の自宅にて没しました。​明治35年(1902年)には、明治政府より正四位を追贈されました。​また、講談やテレビドラマで知られる「水戸黄門」の格さんのモデルとされ、その名は広く知られています。​

安積澹泊は、江戸時代中期における儒学と歴史編纂の発展に大きく貢献した人物であり、その業績は現在も高く評価されています。