柴野栗山しばのりつざん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 柴野 栗山(しばの りつざん、元文元年(1736年) - 文化4年12月1日(1807年12月29日))は、江戸時代の儒学者・文人である。名は邦彦であり、字は彦輔である。讃岐国(現:香川県)で生まれた。寛政の三博士の一人として知られる。 柴野栗山(しばの りつざん、1736年〈元文元年〉–1807年〈文化4年〉)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した朱子学派の儒学者であり、教育者・文人としても知られています。彼は「寛政の三博士」の一人として、幕府の学政改革に大きく貢献しました。 生涯と学問的背景 出自と学問の始まり:讃岐国三木郡牟礼村(現在の香川県高松市牟礼町)に生まれ、幼少期から高松藩儒の後藤芝山に学びました。18歳で江戸に上り、昌平坂学問所(昌平黌)で林家の学問を修め、さらに京都で高橋宗直に国学を学びました。 藩士としての活動:1767年(明和4年)、徳島藩主・蜂須賀家に儒官として仕え、藩政に関与しました。 幕府への登用:1788年(天明8年)、老中・松平定信に招かれ、幕府の儒官として昌平黌の教官に就任。1790年(寛政2年)には、朱子学を正学とする「寛政異学の禁」を建議し、学政改革を推進しました。 主な業績と著作 学政改革への貢献:昌平黌の制度改革や教育内容の整備に尽力し、朱子学の振興を図りました。 著作: 『栗山文集』:詩文を中心とした文集。 『栗山堂詩集』:詩作を収めた詩集。 『資治概言』:政治に関する意見を述べた著作。 『雑字類編』:漢字の用例を分類した辞書的著作。 人物像と評価 柴野栗山は、朱子学の正統を重んじ、学問の体系化と教育の普及に努めました。詩文にも優れ、文化人としても高く評価されています。また、池大雅や韓天寿、高芙蓉などの文人とも交流があり、書画にも通じていました。 現在の顕彰 高松市牟礼町には「栗山記念館」が設立され、彼の業績や遺品が展示されています。また、彼の生家跡は高松市の史跡に指定され、地域の歴史教育にも活用されています。 柴野栗山は、江戸時代の学問と教育の発展に大きく寄与した人物であり、その功績は現在も高く評価されています。 |