澄月僧ちょうげつ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 江戸中期の天台宗の僧。備中玉島生。法名は融阿、酔夢庵・翠雲軒と号する。幼くして出家し、13才の時比叡山に登り、延暦寺で修行。のち京都岡崎に隠棲し、武者小路実岳に和歌を学ぶ。小沢蘆庵・伴蒿蹊・僧慈延と共に平安和歌四天王と称せられ、諸文人と交流した。寛政10年(1798)寂、85才。 澄月(ちょうげつ、1714年〈正徳4年〉–1798年〈寛政10年〉)は、江戸時代中期の僧侶であり、優れた和歌の才能を持つ歌人としても知られています。彼は備中国玉島(現在の岡山県倉敷市)に生まれ、俗姓は西山氏でした。出家後は「智脱」と称し、法号は「白蓮社雪誉融阿上人」です。また、別号として「垂雲軒」「酔夢庵」「融阿」などを用いました。 生涯と学問 13歳で上洛し、比叡山延暦寺で天台宗の教学を学びましたが、後に浄土教へ転宗しました。諸国を行脚した後、京都の岡崎に隠棲し、武者小路実岳に和歌を学び、二条家の和歌の奥義を極めました。彼は小沢蘆庵、伴蒿蹊、僧慈延とともに「平安和歌四天王」と称され、当時の文人たちと広く交流しました。 主な著作と作品 『垂雲和歌集』:彼の代表的な和歌集で、宮下正岑が選んだとされています。 『澄月法師千首』:千首の和歌を収めた作品です。 『和歌為隣抄(わかいりんしょう)』:和歌の理論や作法について述べた歌学書です。 澄月は、地下歌人として堂上風の和歌を詠み、当時の和歌界において高い評価を受けました。彼の作品は、江戸時代中期の和歌の発展に大きく寄与し、後世の歌人たちにも影響を与えました。 |