小石元瑞こいしげんずい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 小石 元瑞(こいし げんずい、天明4年11月20日(1784年12月31日) - 嘉永2年2月10日(1849年3月4日))は、江戸時代後期の蘭学者、蘭方医。新宮凉庭とともに京都の二大蘭方医と称揚される。父は医師小石元俊。
名は龍または橘龍、字を矼軒。号は檉園・蘭斎・秋巖仙史・拙翁・用拙居・用拙居主人・松芝老人・五竹茶寮など。京都の人。

小石 元瑞(こいし げんずい、1784年〈天明4年〉– 1849年〈嘉永2年〉)は、江戸時代後期の蘭方医・教育者であり、京都において医学塾「究理堂」を継承・発展させた人物です。​彼は、父・小石元俊の後を継ぎ、蘭学と医学の普及に尽力しました。​

生涯と学問的背景
小石元瑞は、京都で生まれ、16歳のときに江戸へ赴き、杉田玄白や大槻玄沢らに師事して蘭学と医学を学びました。​その後、京都に戻り、父・元俊が開いた医学塾「究理堂」を継承しました。​彼は、漢学者・皆川淇園に漢学を学び、医学と漢学の両面で深い知識を持っていました。 ​

医業と教育活動
元瑞は、京都で医業を営む傍ら、「究理堂」において多くの門人を育てました。​彼の門下生は、北は越前から南は九州まで全国に及び、門人帳には約2,000人の名前が記録されています。 ​

また、彼は多くの患者を診療し、その数は1万人に上ったといわれています。​あるエピソードでは、柳川藩主が江戸で尿血症に罹患し、漢方医の治療では回復しなかったところ、元瑞が治療に当たり、見事に治癒させたと伝えられています。 ​

書家としての側面
元瑞は、書家としても知られ、彼の書は掛軸や巻物として現在も残されています。​その書風は、力強く、かつ品格のあるもので、多くの人々に影響を与えました。​

交友関係と影響
元瑞は、頼山陽や篠崎小竹など、当時の知識人や文人と交流がありました。​頼山陽が京都を訪れた際には、篠崎小竹の紹介で元瑞を訪ね、その後、生涯の友となりました。 ​

小石元瑞は、蘭学と医学の普及に尽力し、多くの門人を育て、また書家としても高い評価を受けた人物です。​彼の業績は、現在も高く評価されています。​