林羅山はやしらざん

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 林 羅山(はやし らざん、天正11年(1583年) - 明暦3年1月23日(1657年3月7日))は、江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。

林羅山(はやし らざん、1583年〈天正11年〉-1657年〈明暦3年〉)は、江戸幕府の儒学政策の基礎を築いた朱子学者・政治顧問・歴史家です。徳川家康に重用され、以後4代将軍家綱まで仕え、江戸時代初期の思想・教育・政治・外交に大きな影響を与えました。

◆ 基本情報

本名:林信勝(のぶかつ)
通称:羅山は号(ごう)。「羅山」とは、中国の洛陽郊外の名勝地に由来。
出身:京都の町人の家に生まれる。のちに幕府に登用されて武士となる。
学問:朱子学(宋代に確立された儒教の一学派で、理を重んじる体系的な思想)
◆ 生涯と政治的キャリア

◇ 若き日の修学
京都で儒学を修め、**藤原惺窩(ふじわらせいか)**に師事。
惺窩からの推薦により、1607年(慶長12年)、徳川家康に謁見。その知識と文才を認められ、幕臣となる。
◇ 江戸幕府の学問顧問として
家康・秀忠・家光・家綱の4代にわたり仕えた。
政治や外交においても助言を行い、特に外交文書の作成、朝鮮通信使や琉球・中国との対応に活躍。
「文治政治」を進める上で、儒学を政道の基本とする方向性を打ち立てた。
◆ 朱子学と林家の学統

羅山は、日本における朱子学の第一人者として、幕府公式の学問体系の基盤を築いた。
朱子学を通して、忠義・孝行・礼節を重視し、幕府の武士道と統治イデオロギーに組み込んだ。
この路線は、のちの林鳳岡(羅山の子)→林信篤→林述斎と続く、いわゆる林家の大学頭(だいがくのかみ)家系に引き継がれる。
◆ 教育・著述活動

◇ 教育
私塾「湯島聖堂(昌平坂学問所)」の前身を整備。後にこの学問所は、幕府官学の中心となる。
◇ 代表的著作
『本朝通鑑』:日本の歴史を編年体で記した歴史書
『春鑑抄』『寛永諸家系図伝』『羅山先生文集』
また、外交儀礼や礼法に関する解説書なども多く、儒者・知識人としての百科全書的活動を行っていた。
◆ 宗教・思想の特徴

羅山は儒学を基本としつつ、仏教・神道との調和も試みた。
とはいえ、仏教を「幽冥之説」として儒教に劣ると見る立場で、合理主義的で現世的な道徳思想を重視。
その思想は、「儒教的国家理念(忠君・孝子)」として幕府の思想統制に貢献。
◆ 晩年と死後

1657年、75歳で死去。
死後、京都の相国寺に葬られる。墓所には子孫も祀られている。
林家はその後、江戸時代を通して幕府の「大学頭」を世襲し、幕府の学問・教育制度を司る名門となった。
◆ 林羅山の評価と影響

江戸幕府における朱子学の官学化に決定的な役割を果たした思想家。
彼の論理性・制度化への意識は、近世武士社会に秩序を与え、幕府の安定化に貢献。
同時に、幕府の思想的硬直化を招く一因とも評され、明治以降は批判的に見る視点も増えた。