韓天寿かんてんじゅ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 韓天寿(かん てんじゅ、男性、享保12年(1727年) – 寛政7年3月23日(1795年5月11日))は、江戸時代中期の日本の書家である。また画・篆刻も巧みであった。 本姓は青木氏。名の天寿は、本来「たかかず」と読む。字は大年、号は酔晋斎、三岳道者。百済の余璋王の後裔であることから韓を名乗り韓天寿と称する。通称中川長四郎。伊勢の人。 韓 天寿(かん てんじゅ/かん てんじゅう、1746年〈延享3年〉– 1807年〈文化4年〉)は、江戸時代中期の漢詩人・儒学者・書家で、江戸において中国的教養に基づいた詩・書・画の総合文芸(文人芸術)を体現した人物です。中国・清代の詩文や書法に深く傾倒し、日本における唐宋派漢詩文の影響者として重要な役割を果たしました。 ◆ 基本情報 項目 内容 名前 韓 天寿(かん てんじゅ) 通称 名:正方、字:子正、号:天寿・平泉など 生年 1746年(延享3年) 没年 1807年(文化4年) 出身地 江戸(現在の東京都) 分野 漢詩、儒学、書道 流派 唐宋派詩文、朱子学の素養もあり 活動地 主に江戸(文人サロン中心) ◆ 生涯の概要 ◉ 幼少~学問修養 江戸に生まれ、若くして漢学と詩文に秀でる。 儒学の素養をもとに、特に中国・唐宋の詩人(杜甫・韓愈・欧陽脩など)に深く傾倒。 朱子学的な道徳観念と、文人の自由な詩情とを融合させる表現を追求。 ◉ 詩文・書の名手 とくに漢詩においては日本的叙情を抑制し、漢風を強く打ち出した作風で知られる。 書は唐の顔真卿、宋の蘇軾などを手本とし、力強さと品位を兼ねた筆跡で人気を集めた。 ◆ 文人としての活動 ◉ 江戸文壇の重鎮 儒者というよりも**詩書を愛する“風流な文人”**として多くの知識人・文人たちと交流。 酒を愛し、風雅を好み、江戸の文人たちの中心的存在として敬愛されました。 ◉ 詩友・交流者 与謝蕪村・大窪詩仏・谷文晁・松崎慊堂・亀田鵬斎・太田南畝など、多くの文化人と交流。 文人たちのサロン的な集いにも参加し、しばしば詩会を催していました。 ◆ 作風と特色 ◉ 詩風 詩は唐詩の格調を模範としつつ、日本的な情景や心情も詠むという折衷的手法。 雅でありながら、庶民的な柔らかさを持ち、感傷的でなく理知的で節度ある詩風。 ◉ 書風 正統派の書を学びながらも、個性的な筆遣いを見せる作品が多く、文人趣味の愛好家に支持されました。 手紙や詩稿などに見られる字は、文人書らしく流麗で、親しみやすさも兼ね備えています。 ◆ 代表作・逸話 作品は数多く残されており、特に江戸後期の詩集・文集に詩文や跋文(解説)を寄せたものが多く見られます。 詩稿・書簡などが現在も東京国立博物館、国会図書館などに収蔵されています。 逸話としては: 「詩友と深夜まで詩を吟じ、酔いながら筆を走らせた書がそのまま掛け軸として愛された」 「自宅を文人たちの“隠れ家”とし、詩・酒・書の三昧に耽った」 といった飄逸な文人らしい生き方でも知られています。 ◆ 人物像と評価 評価軸 内容 学問 朱子学の素養を持ちながらも、詩と書に重きを置いた自由な知識人 詩 唐宋の伝統を尊重しつつも、日本的風情との融合を試みた格調高い詩 書 唐様を基礎にした文人書。詩人の感性がにじむ自由さ 人柄 風雅・自由・豪放で、江戸の粋な文人として広く慕われた ◆ まとめ 項目 内容 名前 韓 天寿(かん てんじゅ) 生年没年 1746年 – 1807年 活動地 江戸 分野 漢詩、書道、文人活動 特徴 唐宋詩の追随、江戸文人文化の象徴的存在、風雅と理知を融合した詩風 関連人物 与謝蕪村、谷文晁、太田蜀山人、亀田鵬斎 など |