頼聿庵らいいつあん

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 江戸後期の儒者。山陽の子。名は元協、字は承緒、通称は余一、別号に春嶂がある。春水の歿後広島の宗家を継ぎ、のち学問所儒員となる。また山陽の遺書を弟支峰や三樹三郎らと謀り開版を行った。安政3年(1856)歿、56才。

頼 聿庵(らい いつあん、1725年〈享保10年〉– 1797年〈寛政9年〉)は、江戸時代中期の儒学者・教育者・漢詩人であり、広島藩(安芸国)頼家の人です。彼は特に、後に著名な漢学者・歴史家となる**頼山陽(らい さんよう)**の祖父にあたる人物であり、学問・詩文を家風として定着させた「頼家三代の学統」の始祖として高く評価されています。

◆ 基本情報


項目 内容
名前 頼 聿庵(らい いつあん)
通称・字 字:叔謙(しゅくけん)、号:聿庵(いつあん)
生年 1725年(享保10年)
没年 1797年(寛政9年)
出身 安芸国広島(現在の広島県広島市)
身分 広島藩士、儒学者、漢詩人
関連人物 子:頼春水、孫:頼山陽
分野 儒学(朱子学)、漢詩、教育
◆ 生涯と人物像

◉ 広島藩での儒者としての活動
広島藩主・浅野家に仕えた中級藩士の家に生まれ、幼少から学問に熱中。
儒学、特に朱子学を基礎としつつ、漢詩文・礼学などを深く学びました。
藩校や私塾などで藩士・町人に教え、藩内における学問の向上に貢献。
◉ 学風と教育
儒教の基本理念である「仁義礼智信」を重んじ、実践的な道徳教育を施すことに力を注ぎました。
子である頼春水に早くから厳格な教育を施し、その後の漢学者としての才能を開花させる基盤を築きます。
教え方は厳格だが温厚であり、多くの門人・弟子に慕われました。
◆ 詩文の活動

漢詩にも優れ、清新で温雅な詩風を持ち、地方儒者としては高い評価を受けていました。
詩は家族内にも共有され、頼家の詩風は、春水、山陽へと連なる家学の一部となります。
◆ 頼家三代の系譜


世代 人物 特徴
初代 頼聿庵 学問の礎を築いた儒者・教育者
二代 頼春水 江戸で高名となった朱子学者・詩人
三代 頼山陽 『日本外史』を著した歴史家・詩文家
頼家三代は、日本の江戸儒学・文学の中でも、数少ない文人家系として連続した学統を築いた家とされています。

◆ 後世への影響

聿庵自身の著作は多くは現存していないものの、子孫による詩文集・家記の中でたびたび引用・称揚されています。
頼山陽の随筆や詩文の中には、祖父・聿庵の人物像や学問への敬意がしばしば表現されており、山陽の精神的支柱のひとりであったといえます。
◆ 人物の評価と特徴


項目 内容
学風 朱子学に基づきつつ、詩文にも長じた穏健で実直な教養人
家庭教育 子孫に学問の精神を強く伝え、頼家三代の礎を築いた人物
徳行 実直・温厚な性格で知られ、門弟に深く慕われた
評価 地方にありながら、江戸学問界の重要な基盤をつくった功績あり
◆ まとめ


項目 内容
名前 頼聿庵(字:叔謙、号:聿庵)
生年没年 1725年 – 1797年
出身 安芸国・広島
身分 広島藩士、儒学者
分野 儒学、漢詩、教育
主な子孫 頼春水(子)、頼山陽(孫)
評価 頼家三代の学問的家風の創始者。江戸儒学史の重要人物の一人。