亀田鵬斎かめだぼうさい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 亀田 鵬斎(かめだ ぼうさい、宝暦2年9月15日(1752年10月21日) - 文政9年3月9日(1826年4月15日))は、江戸時代の化政文化期の書家、儒学者、文人。江戸神田生れ(上野国邑楽郡富永村上五箇村生まれの異説あり)。 鵬斎は号。名を翼、後に長興に改名。略して興(おこる)。字は国南、公龍、穉龍(ちりゅう)、士龍、士雲、公芸。幼名を彌吉、通称 文左衛門。 亀田 鵬斎(かめだ ほうさい、1752年〈宝暦2年〉– 1826年〈文政9年〉)は、江戸時代中後期に活躍した儒学者・漢詩人・書家・文人画家であり、江戸文人文化の象徴的存在として知られています。破天荒で自由奔放な人物でありながら、深い学識と風雅を兼ね備えた「江戸の奇人」としても有名です。 ◆ 基本情報 項目 内容 氏名 亀田 鵬斎(かめだ ほうさい) 本名 亀田 成章(なりあき) 号 鵬斎(ほうさい)、北窓・蘇山人・日南山人など多数 生没年 1752年 – 1826年 出身地 武蔵国江戸(現・東京都) 分野 儒学、漢詩、書、文人画 流派・立場 江戸朱子学(儒学)、文人思想、在野精神 ◆ 生涯の概要 ◉ 幼少期・学問修行 江戸に生まれ、幼くして父を亡くし、貧困の中で学問を志す。 幼い頃から聡明で、朱子学・漢詩・書道・絵画などを独学で習得。 とくに漢詩は李白・杜甫・蘇軾などの中国詩人に傾倒し、奔放な詩風を築く。 ◉ 在野の文人として活躍 幕府の官職などには就かず、「学問と芸術は自由であるべき」という信念を貫き通す。 各地を遊歴しながら、詩書画を教え、多くの門人や支持者を得る。 一時期、仙台藩に仕官するも性格の自由さが合わず辞職。以後は終生、在野の学者として活動。 ◆ 人物像と性格 ◉ 破天荒で風狂 江戸では**奇人・風狂人(ふうきょうじん)**としても名を馳せた。 一説には、盃を片手に筆をふるい、袴を引きずりながら町を闊歩したとも伝えられます。 しかし、その人柄は温厚で、教養に裏打ちされた風雅とユーモアにあふれていたとされています。 ◆ 学問・芸術の特徴 ◉ 儒学(朱子学)の枠を超えた人間観 朱子学を中心に据えつつも、心情や個性、日常へのまなざしを重視した柔軟な思想。 道徳や政治に限らず、人生をどう味わうか、どう遊ぶかを説く姿勢は、多くの文人たちに影響を与えました。 ◉ 書と画の達人 書は、力強くも遊び心に満ちた独自の様式で人気を博す。 文人画(山水・人物・花鳥など)も描き、詩・書・画の三絶を体現した存在。 ◆ 主な著作・作品 『日南遺稿』:詩文集。奔放かつ格調高い漢詩が並ぶ。 『北窓瑣談(ほくそうさだん)』:随筆風の著作。人物論・風俗・芸術観などを自由に語る。 書・画の掛け軸作品:茶人・文化人の間で現在も高く評価されている。 ◆ 門下と影響 明確な学派を形成したわけではないが、多くの町人・武士・文化人が私塾に通った。 弟子の中には、のちの幕末思想や国学の形成に関わる者もおり、「自由な精神の系譜」として見なされることもあります。 ◆ 死と顕彰 1826年、江戸で没。享年75。 現在も文人芸術家として、茶道・俳句・書道の分野でたびたび取り上げられ、その奇人ぶりと人間味のある生き方が再評価されています。 ◆ まとめ 項目 内容 名前 亀田鵬斎(本名:成章) 生年没年 1752年 – 1826年 分野 儒学・漢詩・書・画(文人芸術) 特徴 破天荒な風狂人、詩書画の三絶、在野の学者 主な著作 『日南遺稿』『北窓瑣談』など 後世への影響 江戸文人文化の象徴的存在 |