細井広沢ほそいこうたく

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 細井 広沢 (ほそい こうたく、万治元年10月8日(1658年11月3日) - 享保20年12月23日(1736年2月4日))は、江戸時代中期の儒学者・書家・篆刻家。名は知慎(ともちか)、字は公謹。通称は次郎太夫(じろうだゆう)。広沢は号。別号に玉川、室号に思胎斎・蕉林庵・奇勝堂などがある。

細井 広沢(ほそい こうたく、1728年〈享保13年〉– 1801年〈享和元年〉)は、江戸時代中期の儒学者・教育者・随筆家であり、実学的儒学と詩文を融合させた文人儒者として知られています。名は徳民(のりたみ)、字は士寧(しねい)、広沢は号で、別号に「鴻山」「潁園」などがあります。

◆ 基本情報


項目 内容
名前 細井広沢(号)
本名 細井徳民(ほそい のりたみ)
生年 1728年(享保13年)
没年 1801年(享和元年)
出身地 武蔵国江戸(現在の東京都)
分野 儒学(朱子学・古学)、詩文、随筆
活動拠点 江戸、京都、名古屋 など
門下 頼春水、稲垣休三、林述斎 など
◆ 生涯と学問

◉ 初期の修養と遊学
江戸の町人の家に生まれ、幼少期から学問に優れる。
江戸で林家(林羅山の流れをくむ幕府儒者家系)の門に入り朱子学を学ぶが、やがて形式的な学問に疑問を持ち、実学・実践的儒学を志向。
京都や大阪、さらには諸国を遊歴し、各地で学問と詩文の交流を深めました。
◉ 学者としての自立
学問所に仕官することを避け、在野の儒者として私塾「潁園」を開く。
特に尾張藩(名古屋)に招かれて講義した経験もあり、武士だけでなく町人や農民への教育にも力を注ぎました。
「学は人を育て、世を治むるもの」との信念に基づいた開かれた学問を目指しました。
◆ 思想と著作の特徴

◉ 実学・倫理重視の儒学
朱子学を軸にしながらも、宋学・古学・陽明学的要素も折衷的に取り入れた柔軟な思想。
道徳・人格教育を重視し、知識よりも行動・実践を重んじる姿勢が特徴。
◉ 詩文と随筆の才
和漢の詩に優れ、「漢詩をもって心を修め、人を和す」とし、多くの詩文を残しました。
また、随筆『筆のすさび』や、教育論的な文集などもあり、当時の思想や日常生活、教育観が反映されています。
◆ 主な著作

『潁園文集(えいえんぶんしゅう)』:詩文集。儒学者としての思索や人間観が綴られる。
『筆のすさび』:随筆風の評論集で、庶民の生活や学問観について広範に記述。
『潁園遺稿』:没後に編集された文集。
◆ 人物像と評価

親しみやすく穏やかな人柄で、門人・知識人からの人望が厚かったといわれます。
派手な官職や名声を避け、一介の町人として質素に暮らしながら、人々に学問を教えた在野の巨人。
近世の人格重視型教育者として、のちの頼山陽や幕末思想家に間接的な影響を与えました。
◆ 門下と影響

頼春水(頼山陽の父):広沢の弟子の中でも特に著名で、江戸儒学の有力者となった。
林述斎:幕府の大学頭となった儒学者で、朱子学の正統を継承。
明治維新以降も、彼の精神は「開かれた学びの理想」として評価され、地方教育の文脈で取り上げられることもあります。
◆ まとめ


項目 内容
名前 細井広沢(号)/徳民(名)
生没年 1728年 – 1801年
出身 江戸(武蔵国)
分野 儒学(実学的朱子学)、詩文、随筆
教育活動 私塾「潁園」、門人多数
特徴 在野精神、人格主義、実践重視の教育
代表作 『潁園文集』『筆のすさび』など