朱舜水しゅしゅんすい

時代 江戸時代
カテゴリー 中国美術,掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 朱 舜水(しゅ しゅんすい、万暦28年10月12日(1600年11月17日) - 天和2年4月17日(1682年5月24日))は、明の儒学者である。江戸時代初期に来日。舜水は号。諱は之瑜、字は楚嶼・魯璵。

朱舜水(しゅ しゅんすい、しゅ しゅんずい、1600年 – 1682年)は、明の遺臣(亡命儒者)であり、日本における儒学・政治思想・文化に大きな影響を与えた中国人学者です。江戸時代の日本に渡来し、特に水戸藩の学問の形成に深く関与し、「水戸学」の基礎を築いた人物として知られています。

◆ 生涯の概要

◉ 出身と明末の活動
朱舜水は**中国・浙江省余姚(よよう)**の出身。
幼少から才能を示し、儒学・経学・詩文に優れ、明の崩壊までは官僚登用試験(科挙)にも挑戦しました。
明が清に滅ぼされると、彼は清に仕えることを拒み、「反清復明」の志士として各地を転々としました。
◆ 日本への渡来と活動

◉ 日本への亡命
明の滅亡後、清の支配を拒否し、**1659年(万治2年)**に日本へ亡命。
長崎に渡り、当初は外国人排斥の風潮から苦労しますが、やがてその学識が高く評価され、受け入れられるようになります。
◉ 水戸藩との関係
**徳川光圀(水戸黄門)**が朱舜水の思想に深く感銘を受け、彼を水戸に招聘。
水戸藩では儒学教育を指導し、水戸学の精神的支柱となりました。
徳川光圀の『大日本史』編纂にも影響を与え、「尊王攘夷」の思想の源流にもなったとされます。
◆ 思想と著作

◉ 思想の特徴
陽明学的な要素と朱子学的精神の折衷。
清を「夷狄」と見なし、忠義・道徳を重んじた儒教的倫理を貫いた。
日本では尊王・愛国的思想と結びつき、後の幕末の思想家たちに影響を与えます。
◉ 主な著作
『舜水先生文集』
『舜水遺稿』
『朱舜水集』など
これらは詩文・随筆・思想的な議論を含み、後世の学者や国学者たちにも読まれました。

◆ 日本文化への影響

語学・儒学教育を通じて、多くの日本人知識人に影響を与えた。
書や詩文も高く評価され、漢詩・書道・礼法など広範な分野にわたり指導。
中国的な儒教精神を直接日本に伝えた稀有な存在。
◆ 死後と評価

1682年(天和2年)、江戸で死去。
遺言により遺体は水戸に葬られました(現在も茨城県水戸市に墓所があります)。
徳川光圀は彼を非常に尊敬し、生前から「先生」と呼んでいました。
近代に至るまで、朱舜水は日本における儒教の改革者・精神的導師として高く評価されています。
◆ 関連する人物・事象

徳川光圀(水戸黄門) – 主なパトロンであり、思想的な共鳴者
藤田幽谷・藤田東湖 – 水戸学の後継者として朱舜水の思想を継承
陽明学・朱子学 – 朱舜水の学問の基盤