伊藤仁斎いとうじんさい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 伊藤 仁斎(いとう じんさい、寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。 諱は、はじめ維貞、のち維禎。仮名 (通称)は、源吉、源佐、源七。屋号は、鶴屋七右衛門。仁斎は号であり、諡号は古学先生。 伊藤仁斎(いとう じんさい、1627年〜1705年)は、江戸時代前期の儒学者・思想家であり、朱子学に対して独自の視点から異議を唱え、「古義学(こぎがく)」という学派を創始した日本儒学の大成者です。彼の学問は、抽象的な理論ではなく、人間の実生活に根ざした誠実な「まことの道」を重視し、後の儒学思想、さらには国学や明治期の倫理観にも影響を与えました。 【基本情報】 名前:伊藤 仁斎(いとう じんさい) 諱(いみな):維禎(これさだ) 字(あざな):敦夫(とんぷ) 号:仁斎(じんさい) 生年:1627年(寛永4年) 没年:1705年(宝永2年) 出身地:山城国京都(現在の京都市中京区) 学派:古義学派(こぎがくは) 【学問的立場と思想】 ◆ 古義学とは何か? 伊藤仁斎の学問は、朱子学批判から出発します。 当時、幕府が正統と認めた朱子学は、世界を「理(ことわり)」と「気(き)」という抽象的な構造で説明し、倫理や道徳も理論化して扱っていました。 仁斎はこれに対し、 孔子や孟子の言葉そのもの(古典の原義)を忠実に読むことが真の学問である 抽象的な理屈ではなく、人と人との真心、仁愛の実践が儒学の本質である 「論語と孟子に帰れ(原点回帰)」という姿勢を明確に打ち出しました この実践的・道徳的学問が、のちに「古義学」と呼ばれ、仁斎はその創始者とされます。 【代表的な思想】 ◆ 仁愛の重視 仁斎の「仁」は、抽象的な徳目ではなく、親子・兄弟・夫婦・友人といった身近な関係における愛情や誠実さを意味します。 「仁とは、人を愛することなり」 この言葉は、孔子の教えを直に受け取った仁斎の立場を表し、「まこと(誠)」の実践としての仁を重視しました。 ◆ 言葉の力を重んじる 仁斎は、言葉こそが人間性の表れであり、学問とは正しい言葉を理解し、伝えることにあると考えました。 「学とは、書を読みて義を知るなり」 孔子や孟子の原文(字義)を精確に解釈することを重視 文辞と道徳、日常と倫理を切り離さない態度を徹底 【教育者として】 仁斎は、京都・堀川に「古義堂(こぎどう)」という私塾を開き、庶民から武士階級に至るまで広く門弟を集めました。 門人は3,000人以上に及んだとされ、教えは後世まで引き継がれました。 弟子には、息子の**伊藤東涯(とうがい)**をはじめ、多くの有力儒者が育っています。 【代表的著作】 『論語古義』:『論語』の本文を字義的に丁寧に解釈した注釈書。仁斎の思想の中核。 『孟子古義』:『孟子』についての同様の注釈書 『童子問』:弟子と師の問答形式による、日常の道徳・倫理の教え 『語孟字義』:『論語』『孟子』に出てくる語彙の字義を詳述 【思想的影響】 伊藤仁斎の学問は、その後の日本思想に次のような影響を与えました: 荻生徂徠(これやす):仁斎の学問をさらに制度論・政治論に展開し、「古文辞学派」を形成 江戸中後期の国学者(賀茂真淵・本居宣長):人間の本質や感情を大切にする姿勢に共鳴 明治時代の倫理教育:仁愛・誠実を重視する仁斎の道徳観は、教育勅語などにも通じる側面を持つ 【まとめ】 伊藤仁斎は、朱子学に反対して「論語・孟子の原義」への回帰を訴えた儒学者 実生活に根ざした「仁」と「誠」の実践を重視し、古義学を創始 『論語古義』などの著作は、日本の儒学史上において最も実践的な注釈書として高い評価 教育者としても大成し、「古義堂」は江戸儒学の一大拠点となった 後世の思想界・倫理思想に大きな影響を与えた、誠実と愛を重んじる思想家 |