雲華大含うんげだいがん

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 江戸後期の浄土真宗大谷派の学僧。豊後生。名は末弘・大倉、別号に鴻雲・染香人等。京都に出て擬講・嗣講に進み、第九代講師に昇任。在京中七条枳殻邸の東に住したので枳東園とも号し、講学の余暇に頼山陽・田能村竹田・貫名菘翁らと交わり、詩文・書画を楽しむ。嘉永3年(1850)寂、78才。

雲華大含(うんか だいごん、1744年〜1820年)は、江戸時代中後期に活躍した臨済宗の禅僧・書家・詩人であり、京都妙心寺派を代表する禅僧文人のひとりです。中国的教養と日本的感性を兼ね備えた人物として、詩書画に優れ、江戸文人文化と禅の精神的融合を体現した存在といえます。

【基本情報】

名号:雲華大含(うんか だいごん)
法諱:大含(だいごん)
号:雲華、または大含道人
生年:1744年(延享元年)
没年:1820年(文政3年)
宗派:臨済宗(妙心寺派)
出身地:詳細不詳(京都周辺の出身とされる)
【人物像】

雲華大含は、京都の妙心寺系の高僧として修行しながら、詩・書・画のいずれにも通じる文人僧でした。その精神的立脚点は禅でありながら、表現様式は儒仏道の要素を取り入れた自由で洒脱なもので、当時の文化人たちの間で高く評価されました。

【書と詩文の才能】

◆ 書
雲華大含の書は、禅僧らしい骨太さと脱俗感を備えています。特に墨跡(禅語・一行書・偈頌)の作品が多く残されており、現在も茶道界や書画愛好家の間で高く評価されています。

書風:豪放で自在、筆の勢いに任せながらも含蓄を感じさせる
禅林墨跡の伝統を受け継ぎつつ、文人書としての味わいも強い
扁額、一行書、掛軸などが多数現存
◆ 詩
漢詩にも優れ、当時流行した**唐様詩(とうようし)**を基盤に、禅的な閑寂や老境の趣を詠んだ詩が多く、内容は深遠で哲理的です。

禅僧としての体験をもとにした自然詠・人生詠が特徴
風景描写と心境表現が一体化した、悟りと詩情の融合ともいえる作風
【画:文人画の領域】

雲華大含は、画家としても活動しており、墨絵の山水や竹、梅、蘭などを好んで描きました。これは典型的な**文人画(ぶんじんが)**のモチーフであり、彼の絵には書や詩と一体となった三絶的な魅力があるとされます。

作風は牧谿(もっけい)や梁楷(りょうかい)など宋元画の影響を受ける
抑制された筆致の中に、禅的な無心・空寂の境地が表現される
【禅僧としての活動】

京都妙心寺派の寺院に属し、多くの法嗣(弟子)を育成
江戸や上方の文人・茶人とも交流し、宗教と文化の橋渡し役を担う
檀林活動(禅の教化)と文芸活動を同時に行った、多才な宗匠であった
【評価と影響】

雲華大含は、江戸後期における「文人僧の理想像」として、同時代・後代にわたって多くの人々に影響を与えました。

書・詩・画を通じて、禅の精神を芸術的に表現した点で高く評価
特に一行書・墨跡は、現在でも骨董・茶道の世界で人気が高い
禅と文人趣味が結びついた文化的潮流の中で、一つの完成形を示した僧侶とも言える
【まとめ】

雲華大含は、臨済宗妙心寺派の禅僧・詩人・書家・画家として多才な活躍をした人物
墨跡や一行書を中心に、禅的精神を美しく昇華した書作品を多く残す
詩や画にも秀で、「詩書画一体の文人僧」として江戸後期に広く認知された
禅宗の精神と日本的美意識を融合させた、文化的達成者のひとり