巻菱湖まきりょうこ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 巻 菱湖(まき りょうこ、安永6年(1777年) - 天保14年4月7日(1843年5月6日))は、江戸時代後期の書家。越後国巻(現在の新潟市西蒲区)に生まれる。姓は池田、後に巻を名襲名。名は大任、字は致遠または起巌、菱湖は号で、別号に弘斎。通称は右内と称した。 巻菱湖(まき りょうこ、1777年〜1843年)は、江戸時代後期の書家・漢詩人・儒者で、近世日本を代表する楷書の名手として知られます。「巻菱湖流」とも呼ばれる美しい書風を確立し、書道教育・実用書式・公文書の書体に多大な影響を与えました。 【基本情報】 名前:巻 菱湖(まき りょうこ) 本名:巻 忠四郎 号:菱湖(りょうこ)・蘭水など 生年:1777年(安永6年) 没年:1843年(天保14年) 出身地:越後国与板藩(現在の新潟県長岡市与板町) 職業:書家・儒者・漢詩人 【人物像】 巻菱湖は、越後の小藩・与板藩の下級武士の家に生まれました。幼少から学問と書に親しみ、特に書道に優れた才能を示し、**中国の古典的書法(王羲之・欧陽詢・顔真卿など)**を徹底的に学びました。 江戸に出てからは儒学や漢詩にも通じる文人としても活躍し、諸藩の儒者・教師・書道家としても高く評価されます。 【書風と功績】 ◆ 書風の特徴(巻菱湖流) 楷書を中心に端正で品位のある書風を確立 字形の整い、筆の流れが滑らかで、読みやすく格式がある 王羲之・欧陽詢など中国正統派の書風に、日本的な温和さを加味 のちに**「実用書道」の基本**ともされ、公的文書、教育用手本、看板や墓碑など広く使われた 彼の書風は、**貞観体(じょうがんたい)**という中国唐代の書風をもとにしており、それを和様に洗練させたものとして高く評価されています。 【書道教育への貢献】 巻菱湖は、門人を全国に持ち、書道教育の普及にも尽力しました。 書の手本(臨書)を多数残し、教科書的役割を果たした 寺子屋や藩校などで使われる書式に大きな影響を与えた 武士階級や町人にも親しまれ、身近で実用的な書道を広めた功績者とされる 現在でも書道教育の現場では、巻菱湖の手本が「書写体」として使われることがあります。 【代表作・資料】 『書法大概』『臨書帖』などの手本類 江戸各地の社寺に残る扁額(へんがく)・碑文・書幅 官庁文書や武家文書の公用書体にも影響(楷書体の標準化) 特に彼の手による楷書の完成度の高さは、近代の楷書教育・毛筆文化の土台ともなりました。 【死後の評価と影響】 巻菱湖の名声は死後も高く、幕末から明治にかけて多くの書家・教育者に影響を与えました。とくに以下の点で顕著です: 「巻菱湖流」として明治以降も日本の標準的な楷書体に多大な影響を与える 書道を「芸術」ではなく「生活の実用技術」として捉えた姿勢が評価される 後の近代書家(巌谷一六、日下部鳴鶴など)にも学ばれた 【まとめ】 巻菱湖は江戸後期の楷書の大成者・書道教育の普及者 正統的な中国書法を日本的に昇華し、「品格と実用性を兼ね備えた書」を確立 公文書体・教育書体の祖として、日本書道史上に大きな足跡を残す 全国に門弟を持ち、「巻菱湖流」は今なお書道教育の基礎に根ざす |