橘曙覧たちばなのあけみ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 橘 曙覧(たちばな の あけみ、文化9年(1812年) - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、日本の歌人。

橘曙覧(たちばな あけみ)は、幕末期の福井藩に仕えた歌人・国学者であり、独自の美学に貫かれた短歌を残した人物です。とりわけ、「たのしみは」で始まる独特の形式を持つ連作歌は、現在でも多くの人に親しまれています。

【基本情報】
名前:橘 曙覧(たちばな あけみ)
生没年:1812年(文化9年)~1868年(明治元年)
出身地:越前国福井(現在の福井県福井市)
本名:橘 道貫(たちばな みちつら)
通称:玄之助、後に曙覧と号す
職業:歌人、国学者、漢詩人
【生涯と人物像】
橘曙覧は福井藩士の家に生まれましたが、幼い頃に父を亡くし、生活は厳しかったとされます。学問を好み、和歌・漢詩・書・国学などに励みました。特に本居宣長の国学に傾倒し、「古道」に通じるものとして和歌を尊びました。

彼は役職に就くことを避け、官途には就かず、一生を福井の自宅「潜庵(せんあん)」にこもって過ごしました。人付き合いも少なく、極めて内省的で質素な生活を送りながら、和歌と学問に没頭していたといわれています。

【代表作:『独楽吟(どくらくぎん)』】
曙覧の代表作は、和歌連作『独楽吟(どくらくぎん)』です。とくに有名なのが、「たのしみは~して~する時」という形式の五七五七七の和歌群です。

例:

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで
無かりし花の 咲けるを見つけたる時
このように、「たのしみは」と詠嘆し、自身の生活の中でふと心が和む瞬間を詠みます。社会的な地位や富にとらわれず、日常の中の小さな悦びを誠実に、かつ洒脱に描く点が非常に特徴的です。

この連作は、幕末の激動の時代にあっても「日々の平穏」を何より尊ぶ思想として、現代でも多くの人に共感を呼んでいます。

【学問と思想】
橘曙覧は、国学者としても高い評価を受けています。特に本居宣長の系統をくみ、儒学や仏教とは一線を画し、日本古来の道(=古道)に立脚した思想を貫きました。

儒教的な名利や忠孝に対する批判も含まれており、彼の歌には個人の自然な感情や日常の尊さを大切にする哲学が一貫しています。

【交友と影響】
曙覧は隠遁的な生活を好みましたが、その評判は徐々に広まり、最晩年には明治天皇が彼の「たのしみは…」の歌を選び、和歌集を下賜したという逸話もあります。

また、彼の生き方や歌は、のちの近代文学者にも影響を与え、与謝野晶子や正岡子規などもその精神を評価しました。

【書と漢詩の才】
橘曙覧は和歌だけでなく、書家・漢詩人としても優れた才能を持っており、多くの作品が残されています。彼の書は端正でありながら温かみがあり、歌とともに今も愛好されています。

【まとめ】
幕末の福井藩で活躍した和歌と国学の人
代表作『独楽吟』で、日常の小さな喜びを五七五七七で表現
本居宣長の古道思想に共鳴し、自然体の生き方を貫いた
明治天皇にも歌を称賛され、没後に再評価が進む
書や漢詩にも優れ、文人としての面も強い