林子平はやししへい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 林 子平(はやし しへい、元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。
高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人。名は友直。のちに六無齋主人と号した。

林子平(はやし しへい、1738年~1793年)は、江戸時代中期の思想家・軍学者・地理学者・海防論者で、日本の安全保障や海防の重要性をいち早く唱えた先駆者です。とりわけ、著書『海国兵談』や『三国通覧図説』によって、外国の脅威に備えるべきという危機意識を持った提言を行い、幕末の尊王攘夷や国防論に大きな影響を与えました。

■ 基本情報

名前:林 子平(はやし しへい)
通称:林信敬(のぶたか)
号:子平(しへい)
生年没年:1738年(元文3年)~1793年(寛政5年)
出身地:陸奥国仙台(現在の宮城県仙台市)
身分:仙台藩出身の町人(武士ではないが学問的に高い地位を得た)
分野:兵学、地理学、海防論、政治評論
■ 生涯と経歴

◉ 若き日の学問修行
江戸に出て儒学や兵学、地理・歴史などを学ぶ。
自らの思想を広めるため、出版活動を積極的に行ったが、幕府からたびたび警戒された。
◉ 「海防」の先駆者として登場
18世紀末、欧米列強のアジア進出が活発化する中で、子平は日本の周辺海域が危機にさらされることを警告。
「鎖国」下であっても、外国の地理や軍事を知り、備えるべきだという姿勢を貫いた。
■ 主な著作と内容

① 『海国兵談(かいこくへいだん)』
1787年ごろ成立。近海防衛と軍備強化の必要性を説いた書。
ロシアの南下政策などに触れ、蝦夷地(北海道)・樺太の防衛を訴える。
日本の海岸線を詳細に論じ、港湾整備や沿岸警備体制の強化を提案。
出版は当初幕府に禁止され、「発禁処分(禁書)」となった。
→ 幕末に再評価され、吉田松陰や藤田東湖、西郷隆盛らに大きな影響を与える。
② 『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』
日本・朝鮮・琉球の三国を比較し、地理・風俗・文化などを図解入りで紹介した地誌書。
日本がアジアの中でどのような位置にあるかを客観的に示し、国家観と外交観の育成を目指した。
幕府に無許可で発行されたため、これも発禁処分となる。
③ 『日本国大図』
日本列島の詳細な地図を作成し、軍事・防衛の視点から地理を再構築。
正確な地図は国家防衛の基礎であるとし、地理の重要性を強調。
■ 思想と特徴

「知ってこそ備えられる」:情報収集と地理・軍事知識の重視
現実主義的国防論者:儒学的理想論ではなく、地政学的視点から日本の安全保障を構築
実証主義的姿勢:空論を排し、地図・数値・資料に基づく考察が特徴
鎖国政策への批判:閉鎖的な国策の限界を訴え、外からの変化に備えるべきだと主張
■ 晩年と死

幕府から思想的に危険視され、出版停止や監視を受けて活動を制限される。
1793年、江戸で没。享年56。
死後も著作は密かに読まれ、幕末の尊王攘夷・海防論者たちにとって**「思想の原点」**となった。
■ 後世への影響

明治維新の立役者たち(吉田松陰・藤田東湖・勝海舟・西郷隆盛など)に思想的火種を与えた。
海防論は、幕府の軍制改革や沿岸警備強化、ペリー来航後の防衛体制の見直しにつながる。
「寛政の三奇人」(林子平・高山彦九郎・蒲生君平)の一人に数えられる。
■ まとめ:林子平の意義


項目 内容
時代 江戸中期(18世紀後半)
分野 海防論、地理学、兵学
主著 『海国兵談』『三国通覧図説』『日本国大図』
特徴 外国地理への関心と、実証的国防思想
評価 海防論の先駆者。幕末思想の先導者。寛政の三奇人の一人