貝原益軒かいばらえきけん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。 貝原益軒(かいばら えきけん、1630年~1714年)は、江戸時代前期から中期にかけて活躍した儒学者・本草学者・教育者・随筆家です。とくに著書『養生訓』によって、健康と生き方の知恵を説いた思想家として、今なお多くの人に親しまれています。日本の実学思想の先駆けとされる人物でもあります。 ■ 基本情報 名前:貝原 益軒(かいばら えきけん) 本名:貝原 篤信(かいばら あつのぶ) 号:益軒(えきけん)、リタイア後に号した名 生没年:1630年(寛永7年)~1714年(正徳4年) 出身地:筑前国福岡(現在の福岡県福岡市) 職業:儒学者・本草学者・随筆家・教育者 学派:朱子学(南宋の儒教を重視)を基本にしつつ、実学を重視 ■ 生涯の流れ ◉ 幼少期と学問修行 福岡藩士の家に生まれ、幼少から秀才として知られる。 江戸や京都で学び、朱子学・医学・本草学(薬草学)・仏教・神道など広く知識を吸収。 とくに中国の古典や儒教の教えに強く影響を受ける。 ◉ 福岡藩仕官と教育活動 福岡藩主・黒田家に仕え、藩政に関わるかたわらで教育・執筆・講義を通じて人材育成に努めた。 儒学に基づく倫理・道徳を庶民にまで広めることを生涯の使命とした。 ■ 主な著作と内容 ① ■ 『養生訓(ようじょうくん)』 1712年、益軒80歳の時に執筆された健康と生き方の指南書。 心身の健康を保つための生活習慣、食事法、精神の安定などをわかりやすく説く。 「養生とは、天年を保ち、病を避け、老いて悔いなきを願う道なり」という思想が貫かれている。 具体的な内容: 食事は腹八分目 怒りは身を損なう 勤勉・節制こそ健康のもと 心を安らかに保つことが最良の薬 現代の健康本・ライフスタイル論にも通じる「実用書」であり、今なお読み継がれています。 ② ■ 『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』 子ども向けに書かれた道徳教育書。 親孝行、礼儀、勉強の大切さ、友達との付き合い方などを説く。 幕末から明治にかけて、教科書的存在として多くの家庭・寺子屋で使用された。 ③ ■ その他の著作 書名 内容 『大和本草』 日本の薬草・動植物・鉱物について解説した本草学(博物学)の名著 『楽訓』 老後の過ごし方・心のあり方を説いた人生訓書 『養女訓』 女性の生き方・家庭の心得など、当時の道徳観に基づく指南 『日本釈名』 日本語の語源や意味を整理した語学書(国語学の先駆け) ■ 思想と学問の特徴 儒教を基盤に据えつつも、実生活に即した教訓・知識を重視。 仏教や神道にも理解を示し、多元的で寛容な知の姿勢を持つ。 学問は単なる知識ではなく、「人を育て、世を治める道」であると説いた。 そのため、**「実学者」「教育者」「知の市民」**として多方面で尊敬されました。 ■ 人柄と晩年 私欲がなく、質素にして誠実、温厚な人柄だったと伝わる。 晩年は執筆と講義に集中し、80代まで旺盛な知的活動を続けた。 1714年、85歳で没。死の直前まで筆を取り続けた。 ■ 貝原益軒の意義と評価 項目 内容 時代背景 江戸時代前期~中期、儒教と武士道が重視される時代 分野 儒学・医学(本草学)・教育・随筆 代表作 『養生訓』『大和本草』『和俗童子訓』など 影響 庶民教育・健康思想・博物学・道徳教育に大きな影響 評価 日本近世の“実学”の祖、教育と健康のバランスを説いた文化人の代表格 |