加賀千代かがのちよ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 加賀千代女(かが の ちよじょ、1703年(元禄16年) - 1775年10月2日(安永4年9月8日))は、俳人。号は草風、法名は素園。千代、千代尼などとも呼ばれる。
朝顔を多く歌っていることから、出身地の旧松任市では市のシンボル、合併後の現・白山市では市の花に選ばれた。白山市では市民の栽培も盛んで、同市が毎年開く千代女あさがおまつりで花の出来映えが競われている。白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。

加賀千代女(かがのちよじょ/加賀千代、1703年〜1775年)は、江戸時代中期を代表する女性俳人であり、特に「朝顔に つるべ取られて もらい水」の句で知られる人物です。彼女は、女性としての感性と日常への深いまなざしを織り込んだ俳句によって、今なお多くの人々に親しまれています。

■ 基本情報

名前:加賀 千代女(かが の ちよじょ)
通称:千代(ちよ)、千代尼(ちよに)とも
生年没年:1703年(元禄16年)~1775年(安永4年)
出身地:加賀国白山(現在の石川県白山市)
職業:俳人・尼僧(後年)
流派:芭蕉門下(蕉風俳諧)に連なる俳諧師
墓所:石川県白山市・千代尼記念館周辺に関連史跡あり
■ 生涯と略歴

◉ 幼少期から俳句の道へ
父は絹織物の職人で、比較的安定した町人階級の家庭に生まれる。
幼少から俳諧に親しみ、10代で既に句を詠んでいたという記録がある。
芭蕉の俳諧精神を継ぐ加賀の俳人・岸本五楽(芭蕉門下)らに師事し、若くして名を知られるようになる。
◉ 女性俳人としての活動
「蕉風(しょうふう)」を基本に、素朴で心情に富んだ句を詠む。
特に日常の情景や、家庭・信仰・自然・母性愛など、女性としての感性が光る作風が特徴。
江戸や京都の俳諧界でも高く評価され、多くの門弟を持つ。
夫との死別や子どもの死なども経験し、その深い人生観が句に反映されている。
◉ 晩年は尼となる
出家して尼となり、「千代尼」と称する。
仏教への信仰も深く、仏性・無常観を俳句に織り込む句も多数詠んでいる。
晩年まで各地を旅して俳諧を指導し、多くの句会や門下生を育てた。
■ 代表句と特徴的作風

◉ 最も有名な句:
朝顔に つるべ取られて もらい水
意味:朝、井戸のつるべ(桶)が朝顔の蔓に絡まり、無理に引けば朝顔が傷つく。そこで隣人に水をもらいに行った。
解釈:小さき命への配慮や、美への慈しみ、日常のやさしさが感じられる名句。
現代でも小学校の教科書に掲載されることもある、親しまれた句。
◉ その他の代表句:
植うるより 抜くをかなしく なすびかな
ほととぎす 声に泣かされ ぬれて行
手を合はす ことのうれしや 木の芽立
→ 自然や宗教、心情の変化を繊細にとらえる句風が特徴的です。

■ 人物像と評価

清楚で知的、かつ信仰深い女性として知られ、道徳や慈愛の精神が句ににじむ。
芭蕉の精神を忠実に継ぎつつ、**「女性の目線からの蕉風俳諧」**を確立。
晩年まで質素な暮らしを続け、華美を好まず、詩と祈りに生きた。
江戸中期の三大女流俳人(加賀千代女、杉田久女、野沢凡兆女)に数えられることもある。
■ 現在の顕彰と文化財

**石川県白山市に「千代女の里俳句館」**があり、句碑や遺品、資料を展示。
各地に句碑が多数建立されており、特に朝顔の句碑は有名。
彼女の作品は、女性俳句・日常詠の源流として現代俳句にも影響を与えています。
■ まとめ:加賀千代女の意義


項目 内容
時代 江戸中期(18世紀前半〜後半)
主な分野 俳句・仏教詠・季節詠
特徴 日常のやさしさ、自然の美しさ、女性のまなざしを繊細に描写
代表句 「朝顔に つるべ取られて もらい水」など
評価 日本文学における代表的女性俳人。蕉風の継承者かつ発展者