松平定信まつだいらさだのぶ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 松平 定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。

**松平定信(まつだいら さだのぶ、1759年~1829年)は、江戸時代中期の老中首座(政治の最高責任者)として知られ、「寛政の改革」**を主導したことで有名です。徳川吉宗の孫にあたる名門出身で、政治・学問・文芸に通じた多才な人物でもありました。

■ 基本情報

氏名:松平 定信(まつだいら さだのぶ)
号:楽翁(らくおう)
諱:初名は定邦(さだくに)、のちに定信
生年没年:1759年(宝暦9年)~1829年(文政12年)
出身地:江戸(現在の東京都)
家系:白河藩主(陸奥国白河藩主、のち白河松平家初代)
父:田安宗武(徳川吉宗の子)
祖父:徳川吉宗(第8代将軍、「享保の改革」で知られる)
■ 略歴と政治経歴

◉ 幼少期と家督相続
田安家に生まれるが、のちに松平家に養子入りし、白河藩主となる。
藩政では倹約・風紀粛清などに努め、名君として名声を高めた。
◉ 老中就任と「寛政の改革」(1787年〜1793年)
1787年、将軍徳川家斉の補佐役として老中首座に就任。
このとき幕府財政は逼迫し、社会も混乱していたため、享保の改革(吉宗)にならい、改革政治を断行します。

■ 寛政の改革の主な内容

① ■ 倹約と財政再建
贅沢禁止令や幕府支出の削減を行い、幕府財政の健全化を図る。
借金の棒引き(棄捐令)を実施し、旗本・御家人を救済。
② ■ 社会風紀の取り締まり
浮世絵や遊女文化に対して規制を強化。
若年寄・町奉行らに命じて、風紀粛清・道徳向上を狙った政策を実施。
③ ■ 学問・思想の統制
朱子学を正学とし、異学(陽明学や国学など)を排除
「寛政異学の禁」と呼ばれる学問統制政策を出し、幕府直轄の学問所で朱子学以外の学問を禁じた。
一方で、昌平坂学問所を整備し、人材育成にも注力。
④ ■ 農村対策と救済
飢饉に備えた**「囲米(かこいまい)」政策**:各地に米を備蓄させる
帰農令:都市に流出した農民を農村へ戻す政策
■ 政治的な終焉

政策は真面目で理想主義的だったが、反発も大きく、改革に疲弊する声が広がった。
特に将軍・家斉との対立が表面化し、1793年に老中を辞任。
その後は政治の表舞台から退くが、隠居後も文筆・学問活動に専念し、文化人として名を残した。
■ 文芸・学問での業績

◉ 号「楽翁」を名乗る文化人
和歌・漢詩・随筆・歴史書など多数の著作を残す。
著作例:
『宇下人言』:政治回顧録
『花月草紙』:随筆集。文人たちとの交流を記す。
『楽翁公遺稿』:詩文・書簡などをまとめたもの
◉ 教育と文化保護
庶民の教育の重要性も説き、藩内に学校を設置。
書や絵にも堪能で、多くの文化人・文人と親交を結んだ。
■ 人物像と評価

改革者であると同時に保守思想の体現者
理想は高かったが、現実とのズレや強硬さが目立ち、賛否が分かれる。
孤高の改革者とも評され、**「吉宗の孫としての責務」**を生涯背負っていた。
晩年は隠棲しながらも、学問と文化に貢献し、幕末思想にも影響を与えた。
■ まとめ:松平定信の意義


項目 内容
主な政策 寛政の改革(倹約・風紀粛正・朱子学推奨・農村救済)
政治思想 儒教的理想主義と倹約重視の実利政治
評価 改革は一時的成功も、反発・限界も多く、後の天保の改革へとつながる
文学・文化 和漢の学芸に通じ、老後は文人として多くの著作を遺す