風外僧ふうがいそう
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 江戸前期の曹洞宗の奇僧。永禄11年(1568)上野生。墨戯を能くし、もっぱら達磨・布袋・自画像等を描く。晩年、青銅三百文で穴を掘らせ、自らそこに投じて植木のように寂したという。承応3年(1654)のことと伝えられる。俗に穴風外・古風外と称する。 風外慧薫(ふうがい えくん)、または単に「風外僧(ふうがいそう)」として知られる人物は、江戸時代初期の臨済宗の禅僧であり、独特な書画(禅画)や書を残した異色の禅者です。彼の生涯は世俗から離れ、風狂と呼ぶにふさわしい孤高の道を歩みました。 ■ 基本情報 名号:風外慧薫(ふうがい えくん) 通称:風外僧、風外和尚、またはただの「風外」 生年没年:1568年(永禄11年)頃〜1654年(承応3年)頃 出身地:紀伊国(現在の和歌山県あたり)とも、丹波とも伝わる 宗派:臨済宗 活動地:京都、近江、播磨、紀伊など各地を放浪 ■ 生涯と人物像 ◉ 若き日の出家と修行 幼少期の記録はほとんどなく、20代頃に出家したとされています。 修行を積んだ後、京都・大徳寺の門派を経て、高名な禅僧ではなく、孤高の托鉢僧・漂泊僧として活動する道を選ぶようになります。 ◉ 放浪と庵住の生活 彼は名利や権威を嫌い、諸国を放浪しながら草庵を結んではまた去るという「雲水(うんすい)生活」を徹底。 晩年には京都の山間部や紀伊の山中で隠棲し、来客には無言で接するなど、**「無言の禅」「無住の教え」**を実践したとされます。 ■ 芸術家としての風外 ◉ 禅画と書の革新者 風外は、絵と文字を一体として表現する「禅画(墨画)」の祖のひとりとされます。 描線は太く、勢いがあり、墨の濃淡と余白で禅の精神を表現 画題は禅僧、布袋、達磨、寒山拾得など禅的寓意のある人物が多い 文字は「風外流」と呼ばれる奔放な書で、漢字・かなを自由に組み合わせ、禅語や頌(しょう)を墨跡として残す ◉ 書風の特徴 正統な書道から外れた、独自の書風で「下手の妙」とも呼ばれた 墨がはねても、にじんでも気にしない「書の自由さ=心の自由」を象徴 書と画が一体となって、言葉と絵で同時に禅を伝える ■ 教えと精神性 言葉に頼らない禅:風外は語らず、書かず、ただそこに在ることを重視 無一物の精神:「仏法も禅も捨て去れ」とでも言いたげな脱俗ぶり 彼の行動と書はすべて、禅における「無心・無為・無着」を体現しているといえます ■ 現存する作品と評価 現在でも、彼の墨跡・禅画は全国の寺院や美術館に残されており、高く評価されています。 特に「寒山拾得図」や「達磨図」「布袋図」などの作品が有名。 その自由奔放なスタイルは、のちの**仙厓義梵(せんがい ぎぼん)**など禅画家にも影響を与えました。 ■ まとめ:風外慧薫の魅力 権威に背を向け、一人の無名禅僧として自由を生きた人物 墨の線と余白に、言葉を超えた「禅の心」を込めた孤高の表現者 禅の「無言の教え」「無相の教え」を、行動と筆で示した異色の禅僧 現代でもその書画は、型破りでいて深遠な精神性を感じさせる |