木庵性瑫もくあんしょうとう

時代 江戸時代
カテゴリー 中国美術
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 木庵性瑫(もくあんしょうとう、万暦39年2月3日(1611年3月16日)- 貞享元年1月20日(1684年3月6日))は、江戸時代前期に明国から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。俗姓は呉氏。福建省泉州府晋江県の出身。勅諡号は慧明国師。

木庵性瑫(もくあん しょうとう、1611年 – 1684年)は、江戸時代前期に中国・明から渡来した黄檗宗(おうばくしゅう)の僧侶であり、書道家としても高名です。​彼は隠元隆琦(いんげん りゅうき)の高弟であり、即非如一(そくひ にょいつ)とともに「黄檗三筆」と称される名筆の一人です。​

生涯と宗教活動
出身地:​中国福建省福州府福清県
俗姓:​林氏
出家:​若年で出家し、隠元隆琦に師事​
1654年、隠元隆琦の日本渡来に随行し、長崎の興福寺に滞在しました。​その後、宇治の萬福寺の創建に尽力し、1674年に第三代住持(住職)となりました。​彼は黄檗宗の教義を広め、日本の禅宗に大きな影響を与えました。​

書道と文化的功績
木庵性瑫は、書道においても高い評価を受けています。​彼の書は、隠元隆琦、即非如一とともに「黄檗三筆」と称され、力強くも洗練された筆致が特徴です。​また、詩文にも優れ、禅味のある作品を多く残しました。​

主要な寺院と肖像画
萬福寺(京都・宇治):​第三代住持として黄檗宗の発展に寄与
興福寺(長崎):​渡来当初に滞在した寺院​
また、木庵性瑫の肖像画や書作品は、各地の寺院や美術館に所蔵されています。​

木庵性瑫は、宗教活動だけでなく、書道や詩文を通じて日本文化に多大な影響を与えた人物です。​彼の業績は、黄檗宗の発展とともに、今日まで語り継がれています。​