本阿弥光甫ほんあみこうほ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 江戸前期の工芸家。本阿弥光悦の孫。父は光瑳。号は空中斎。家職である刀剣の鑑定に優れ、光悦の遺風を継ぎ茶道・書画・陶芸・彫刻をよくした。楽焼のほか信楽焼を得意とし、空中信楽と称された。本阿弥家の家記である『本阿弥行状記』を編集。天和2年(1682)歿、82才。 本阿弥光甫(ほんあみ こうほ)は、江戸時代初期の著名な芸術家であり、特に蒔絵師(まきえし)・書家・茶人として多才な活動を展開した人物です。また、本阿弥家の名声を将軍家にまで広めた功労者でもあります。 ◆ 本阿弥光甫(ほんあみ こうほ) 生没年:1614年(慶長19年)~1694年(元禄7年) 出身地:京都 本名:本阿弥 光甫(読み同じ) 通称・号:通称は源七、号は東陵斎(とうりょうさい)など 家系:本阿弥家。刀剣鑑定で知られる名門 ◆ 家系と背景 本阿弥家は室町時代から続く刀剣鑑定の名門であり、特に初代・本阿弥光心の頃から足利将軍家に仕えていました。光甫の時代にはその伝統を受け継ぎながらも、刀剣鑑定に加えて美術・工芸・書において大きな功績を残しました。 ◆ 光甫の多才な活動 ◎ 蒔絵師として 光甫は特に「蒔絵」(漆工芸に金粉や銀粉をまき絵付けする技法)の名手として知られ、将軍家や大名家の調度品を数多く手がけました。 光甫の蒔絵は、極めて繊細かつ格調高く、装飾性と品格の両立が特徴です。 金粉・銀粉の使い方が非常に洗練され、図案は典雅で、書画的な美しさを感じさせます。 「本阿弥光甫蒔絵」という名で現在も美術市場で高く評価されています。 ◎ 書家として 書も非常に高名で、「本阿弥流」と呼ばれる美しい書風を確立しました。 和様を基本としながらも、唐様(中国風)も取り入れたバランスのよい筆致。 表装(掛軸など)との調和を大切にした書風は、茶道具の銘などにも多く用いられました。 ◎ 茶人として 千宗旦(せんのそうたん)と親交を結び、江戸初期の茶の湯文化の担い手でもありました。 数寄屋建築や道具の意匠、漆器などに光甫の美意識が息づいています。 ◆ 代表的な作品と遺品 蒔絵硯箱・香箱・文台など、多くが重要文化財・重要美術品として現存。 京都・東京国立博物館、MOA美術館などに収蔵されている作品多数。 光甫の作品には「光甫」「東陵斎」などの銘が入るものもあります。 ◆ 美術史における位置づけ 本阿弥光甫は、単なる蒔絵師や書家にとどまらず、 工芸・書・茶道・建築・意匠を総合的にまとめた“プロデューサー的芸術家” 後代の尾形光琳や中村宗哲、柴田是真などの蒔絵師にも影響を与えた存在 江戸前期の数寄文化(美意識に基づく生活芸術)の象徴的人物 と位置づけられています。 ◆ 余談:尾形光琳との関係? 本阿弥光甫と尾形光琳の直接的な師弟関係は確認されていませんが、光琳の蒔絵作品(たとえば八橋蒔絵硯箱など)には光甫の作風が色濃く見られるため、 「光甫の美意識は、琳派へと引き継がれていった」 と評価されることがあります。 ◆ 評価と現代の美術市場 光甫の作と伝わる作品は、蒔絵・書ともに高い評価を受け、数百万円〜数千万円の価値がつくこともあります。 特に、保存状態の良い蒔絵硯箱や茶道具は、国内外の蒐集家から高く評価されています。 |