市河米庵いちかわべいあん

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 市河 米庵(いちかわ べいあん、安永8年9月16日(1779年10月25日) - 安政5年7月18日(1858年8月26日))は、江戸時代後期の日本の書家、漢詩人。
名は三亥、字は孔陽、号は米庵のほかに楽斎・百筆斎・亦顛道人・小山林堂・金洞山人・金羽山人・西野子など。通称は小左衛門。

**市河米庵(いちかわ べいあん)**は、江戸時代後期を代表する書家であり、**幕末の三筆(ばくまつのさんぴつ)**の一人に数えられる人物です。彼は、書の実力だけでなく、学者としても名を成し、明治維新前夜の文化を支えた重要な人物のひとりです。

◆ 市河米庵(いちかわ べいあん)

本名:市河 米庵(いちかわ べいあん)
通称:通称は「市河寛斎(いちかわ・かんさい)」とも
号:米庵(べいあん)
生没年:1779年(安永8年)~1858年(安政5年)
出身地:江戸(現在の東京都)
◆ 経歴と人物像
◎ 幼少期と学問の修養

江戸の書家の家に生まれ、父・市河寛斎の影響で幼少より書と漢学を学びました。特に書道においては、**唐代の王羲之(おうぎし)・顔真卿(がんしんけい)**ら中国古典の書風を研究し、古法を基礎にしながらも、日本的な優美さを融合させた書風を確立しました。

◎ 学者としての側面

市河米庵は、書道だけでなく、漢学者・国学者としても活躍しました。特に漢詩や漢文に通じ、昌平坂学問所(江戸幕府の官立学問所)でも教鞭を執ったとされます。多くの門弟を抱え、教育者としても名声を得ていました。

◎ 幕末の文化人との交流

同時代の文化人である**頼山陽、巻菱湖、貫名海屋(ぬきな・かいおく)**らと並び、「幕末の三筆」の一人に称されました。彼の書は、武士・町人問わず広く受け入れられ、書状・看板・額などに多く用いられました。

◆ 書風の特徴
「温雅端正」(おんがたんせい)な風格が特徴
 → 優雅で整った字形、バランスの取れた筆遣い。
古典に忠実でありながら、日本的情緒をもつ
 → 清朝や唐代の書風を学びつつ、日本的な柔らかさを感じさせる。
楷書・行書・草書のいずれにも精通し、いずれも高く評価されました。
とくに彼の楷書は門弟たちの手本として重宝され、「実用書道」の模範ともなりました。

◆ 代表作品と実績
『米庵臨書帖』
 → 古典の名筆を臨書した作品集で、学習者の手本として長く使われました。
『米庵詩稿』
 → 自らの漢詩とその書をまとめたもの。文化人としての教養の深さが伝わる書。
書の額や看板(今も残る寺院や古建築に掲げられているものもあり)
 → 江戸から関西に至るまで、各地の旧家・寺社にその遺墨が残されています。
◆ 門弟・影響
市河米庵の門下からは、多くの書家・漢学者が輩出されました。
彼の書風は、後の明治・大正期の書家たちにも影響を与え、**「正統な書のあり方」**として長く受け継がれました。
明治以降、書の教育が体系化される中でも、市河米庵の作品は「お手本」として使われ続けました。
◆ 評価と現代の位置づけ
市河米庵は、単なる書家ではなく、学問・文化・教育の担い手として、江戸後期の知的精神を体現する人物です。
その書は現在も評価が高く、展覧会や古書市場などでも注目され、文化財として指定されている作品もあります。

◆ 余談:巻菱湖・貫名海屋との比較
人物 特徴
市河米庵 端正で整った書風。教育的・実用的な側面が強い。
巻菱湖 豪快で力強い書風。躍動感がある。
貫名海屋 詩書画に通じた多才な文化人。やや自由で個性的。
この三人は「幕末の三筆」と称され、それぞれに異なる個性をもちつつ、江戸書道界を牽引しました。