慈雲僧じうんそう

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 慈雲(じうん、享保3年7月28日(1718年8月24日) - 文化元年12月22日(1805年1月22日))は江戸時代後期の真言宗の僧侶。
戒律を重視し「正法律」(真言律)を提唱した。雲伝神道の開祖。能書家としても知られる。俗姓、上月氏。法諱は飲光(おんこう)。号は百不知童子、葛城山人、雙龍叟など。慈雲尊者と尊称される。

慈雲尊者(じうん そんじゃ)は、江戸時代中期に活躍した真言宗の高僧であり、同時に戒律復興・仏教学・国語学・書道・倫理思想の碩学として知られる、極めて多才で影響力の大きい人物です。特に、仏教の原点に立ち返る「戒律の実践」を重視した姿勢と、国語(日本語)や書における業績により、宗派を超えて評価されています。

基本情報

法名:慈雲飲光(じうん おんこう)
通称:慈雲尊者、慈雲僧
生年:1718年(享保3年)
没年:1804年(文化元年)
出身地:河内国(現在の大阪府八尾市周辺)
宗派:真言宗(中興の祖的存在)
号:飲光、無称庵など
生涯のあらまし

慈雲は、若くして仏道に目覚め、真言宗の学僧として頭角を現しました。
その学問の幅は極めて広く、密教・律宗・阿含経・仏教哲学・言語学・儒学・書道に及びます。

修行と学問
全国を行脚して多くの師のもとで修行を重ね、仏教の原典に当たることを重視。
特に阿含経(釈尊の原始教説)を尊重し、当時の真言密教の儀式偏重に疑問を呈しつつ、戒律の実践を重んじる姿勢を貫きました。
主な功績と思想

戒律の復興(律宗的実践)
慈雲は、釈尊の教えの核心にある戒律(持戒)を再評価し、真言宗の中に戒律の精神を復活させる運動を展開しました。

出家者だけでなく、在家の倫理・道徳にも応用できる教えを説いた。
律宗の流れを汲みつつ、特定の宗派にとらわれない「仏教の原点への回帰」を目指した。
『十善法語』
慈雲の代表的著作のひとつで、仏教の「十善戒」を平易な言葉で説いた道徳書。
これは、江戸時代における庶民教育や子弟のしつけにおいて広く読まれ、道徳と信仰の接点を築いた書として大きな影響力を持ちました。

十善とは:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、邪見
言語・国語学への貢献
漢字の正しい読み方・意味の解釈に厳密な規準を設けた学者でもあり、**『音訓義林』『仮字法要』**などを著して、漢字・仮名の体系化を進めました。
特に『仮字法要』は、五十音図の理論化と整序を含んだ画期的な書で、日本語音韻学の先駆といわれます。
書道の達人として
慈雲は書家としても非常に高名で、特に律儀で凛とした楷書・行書を多く遺しています。
「仮名文字の整備者」としても知られ、近世書道の規範とされました。
宗派を超えた精神性

慈雲の教えは、真言宗にとどまらず、他宗派や儒教・神道とも共鳴しうる倫理思想としても広く受け入れられました。

「生き方の道」としての仏教
庶民にも届く言葉と教え
「現世での正しい行い」を重視する人間中心の宗教観
この姿勢は、明治期以降の仏教改革思想にも少なからず影響を与えています。

晩年と死

慈雲は、京都や河内(大阪)を拠点に教化活動を続け、1804年に87歳で没しました。
死後も「慈雲尊者」として尊崇され、その教えは今も真言宗・律宗・在家信仰問わず語り継がれています。

現存する資料と評価

著作は200点以上にも及び、思想家・宗教家・書家・教育者としての面を持つ総合的文化人として再評価が進んでいます。
慈雲の資料は、八尾市の大信寺や京都の無称庵に所蔵されており、近年は展覧会などでも紹介されることがあります。
まとめ

慈雲は、以下のような特徴を持つ、江戸時代中期の“巨人”とも言える存在です:

仏教の原点である戒律を復興し、真言宗に新しい倫理性を導入
十善戒をもとに道徳書を著し、庶民の教化に大きく貢献
仮名・音訓・文字体系を整理し、日本語学に先駆的成果を残す
書家としての功績も大きく、今なお手本とされる格調ある文字を残す