本居宣長もとおりのりなが
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる。 **本居宣長(もとおり のりなが)**は、江戸時代中期の国学者・思想家・医師で、日本古典の研究を通じて「日本とは何か」を深く掘り下げた人物です。特に『古事記伝』の著者として知られ、国学(こくがく)を大成した第一人者とされています。彼の思想は、後の尊王攘夷運動にもつながるほど、日本の精神史に大きな影響を与えました。 生涯と人物像 生年と出身地 本居宣長は、1730年(享保15年)に伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)で生まれました。商家の出身でしたが、幼少期から読書が大好きで、漢学や儒学に親しんで育ちました。 医者としての顔 若い頃に京都で医学を学び、地元・松坂で医者として生計を立てながら、独学で国学の研究を続けました。彼は、診察の合間にも古典を読み、日々の中に学問を組み込んでいたとされます。 没年 1801年(享和元年)に72歳で死去しました。 学問と思想の核心 古典を読むことで「日本の心」を探る 本居宣長の思想の柱は、日本の古典(特に『古事記』や『源氏物語』)の中にある「やまとごころ(大和心)」を明らかにしようとすることでした。 彼は、儒学や仏教といった外来思想ではなく、日本人本来の感性・精神性を重視し、それを古典の中に求めたのです。 『古事記伝』の編纂 本居宣長の最大の業績が、**『古事記伝(こじきでん)』**です。 『古事記』の本文を詳細に注釈し、日本神話・歴史の真意を読み解こうとした労作。 約35年かけて書き上げられた全44巻。 言葉の解釈、歴史的背景、文法、神々の関係性など、極めて精密に論じられています。 この著作により、古事記の価値が再認識されるようになり、日本思想の源流が体系化されたと言われます。 代表的な思想 「やまとごころ」と「からごころ」 やまとごころ:日本人の素直な感情、自然な情愛、美意識。 からごころ:中国由来の理屈っぽい論理性、理屈倒れの思考。 宣長は、「やまとごころ」にこそ日本人の本質があるとし、それを損なう「からごころ(=儒仏の思想)」に批判的でした。 「もののあはれ」の再評価 『源氏物語』などを通じて語られる「もののあはれ」という感性を、最も重要な日本的美意識として重視しました。 これは、人間の感情の微細な動きや、自然や人生の移ろいへの深い共感を意味します。 後世への影響 本居宣長の学問は、**平田篤胤(ひらたあつたね)**などの後継者によって受け継がれ、「国学」思想がさらに展開されました。 幕末の尊王攘夷運動にも影響を与え、明治維新の思想的支柱の一つにもなりました。 明治以降は「国体」や「神道」との関係でもしばしば引用されました。 現代における評価 本居宣長は、日本文化・日本語・日本思想を深く探求した先駆者として高く評価されています。 彼の思想は、ナショナリズムと結びつけられる側面もありますが、本来は「理屈でなく、心で感じる」ことを大切にした、きわめて感性的で詩的な哲学でした。 ゆかりの地と資料 本居宣長記念館(松阪市):著作や書簡、遺品が多数展示。 鈴屋(すずのや):宣長が晩年を過ごした書斎。現在も保存されています。 **国学四大人(しうし)**の一人として、江戸期の学問史の中で特に重要な位置を占めています。 |