松花堂昭乗しょうかどうしょうじょう

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、天正10年(1582年) - 寛永16年9月18日(1639年10月14日))は、江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。俗名は中沼式部。堺の出身。豊臣秀次の子息との俗説もある。
書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出し、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられた。なお松花堂弁当については、その名が昭乗に間接的に由来するとする説がある。

松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)

基本情報
生没年:1584年(天正12年)-1639年(寛永16年)
出身:山城国(現在の京都府八幡市)
宗派:真言宗の僧侶(石清水八幡宮の社僧)
号:松花堂(自らの庵の名から)
人物概要
松花堂昭乗は、僧侶であると同時に、多才な文化人として名を馳せました。書、絵、茶道、和歌、漢詩などに通じ、江戸時代初期の寛永文化を代表する一人とされています。

彼はとくに書道家として非常に高名で、「寛永の三筆(さんぴつ)」の一人に数えられます。

寛永の三筆とは?
松花堂昭乗
近衛信尹(このえ のぶただ)
本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)
この三人は、江戸初期の書道に新風を吹き込んだことで知られています。

芸術活動と作品
書道

松花堂の書は、古筆(こひつ)を重んじながらも、自由で伸びやかな筆致が特徴。和様(日本的な書風)の美を極めたと言われています。

絵画

水墨画や淡彩画も多く残しており、特に山水画や花鳥画に優れました。宋・元の画風に影響を受けつつ、わび・さびを感じさせる作風が特徴です。

茶道

千利休以降の「わび茶」の流れを汲み、書・画と同様に茶の湯でも高い評価を得ています。彼の茶のスタイルは、後の茶人にも影響を与えました。

松花堂弁当との関係
実は、**松花堂昭乗の名前を冠した「松花堂弁当」**は、彼が実際に作った弁当ではありません。昭乗が使用していた四つ仕切りの箱が、後世の料理人に影響を与え、昭和期に料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一が、それをヒントにして現在の形の「松花堂弁当」を考案しました。

ゆかりの地
松花堂庭園・美術館(京都府八幡市)

昭乗が晩年を過ごした「松花堂」の庵跡に建つ庭園と美術館。書や絵などの作品、また当時の文化を知るうえで非常に重要な施設です。

まとめ
松花堂昭乗は、江戸時代初期の多彩な文化の体現者ともいえる存在です。書道、絵画、茶道といった日本文化の諸芸を高いレベルで融合し、後世にも強い影響を与えました。その優雅で知的な作風は、今なお多くの人に愛されています。