鶴田卓池つるだたくち
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 江戸後期の俳人。三河生。通称は与左衛門、藍叟・青々処と号する。紺屋業を生業とする。俳諧を初め加藤暁台、のち井上士朗に学ぶ。岡崎正風を鼓吹、また画も能くする。弘化3年(1846)歿、79才。 鶴田卓池(つるだ たくち、1768年8月15日〈明和5年〉 - 1846年8月11日〈弘化3年〉)は、江戸時代後期の俳人で、三河国額田郡岡崎菅生村(現在の愛知県岡崎市菅生町)に生まれました。本名は光貞、通称は与三右衛門。号として青々処(せいせいしょ)、藍叟(らんそう)などを用いました。 生涯と俳諧活動 卓池は、岡崎で紺屋(染物業)を営む傍ら、俳諧に深く打ち込みました。17歳の時、尾張藩の俳人・加藤暁台に入門し、後に井上士朗にも師事しました。その温厚な性格から多くの門人を持ち、三河地方の俳壇の中心的存在となりました。 俳画と芸術活動 卓池は俳句だけでなく、俳画にも秀でており、自ら描いた絵に句を添える作品を多数残しています。彼の俳画は、岡崎市立図書館の鶴田卓池文庫のデジタルアーカイブや、安城市歴史博物館に所蔵されています。 門人との交流と句集 多くの門人との交流から、数々の句集が生まれました。2019年には、岡崎市美術博物館で「鶴田卓池と三河の俳諧―蕉風俳諧の系譜」という展覧会が開催され、彼の生涯や作品が紹介されました。 晩年と遺産 晩年には、桜井梅室、成田蒼虬、田川鳳朗とともに「天保の四老人」の一人と称されました。1846年8月11日、79歳で逝去し、岡崎市菅生町の満性寺に葬られました。同寺には彼の句碑も建立されています。 卓池の俳諧と芸術への情熱は、三河地方の文化に大きな影響を与え、現在もその功績は高く評価されています。 |