淵野真斎ふちのしんさい

時代 江戸時代
カテゴリー 絵画、書画,掛け軸
作品種別 絵画
プロフィール 1760-1823 江戸時代中期-後期の画家。
宝暦10年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)岡藩士。江戸に遊学,渡辺玄対にまなび,のち藩の画員となる。田能村竹田(たのむら-ちくでん)におしえたともいう。狂歌もたしなんだ。文政6年6月死去。64歳。名は世竜。字(あざな)は玉鱗。別号に檉園。

淵野真斎(ふちの しんさい、1760年〈宝暦10年〉 - 1823年〈文政6年〉)は、江戸時代後期の豊後国岡藩(現在の大分県竹田市)の藩絵師であり、岡藩における南画の発展に寄与した人物です。​

生涯と業績

淵野真斎は、岡藩士・淵野宇吉仲業の三男として生まれました。幼少期から絵画に興味を持ちましたが、藩内に師がいなかったため、外部での修行を望みました。しかし、父の反対により叶わず、独学で絵を学びました。​その後、備中(現在の岡山県西部)の画人・淵上旭江が岡藩を訪れた際、渡辺蓬島と共に彼に師事し、画技を向上させました。 ​

34歳の時、武家奉公人として岡藩に召し抱えられ、江戸に出て渡辺玄対や笹山養意に学び、さらに画技を磨きました。​その後、藩絵師として『豊後国志』の「八郡絵図」や「三佐権現御寄附絵馬」、「三宅山御鹿狩絵巻物」などの作品を手掛けました。 ​


後進への影響

真斎の子である淵野天香も画家として活動し、大坂で岡田米山人に学びましたが、江戸で谷文晁に学ぶ途中、29歳で早逝しました。​その後、娘婿の淵野香斎が跡を継ぎ、さらに養子の淵野桂僊が家督を継承し、幕末まで淵野家は岡藩の藩絵師を務めました。 ​

作品と所蔵

淵野真斎の作品の一つに「紙雛図」があり、これは大分県立美術館に所蔵されています。 ​

田能村竹田との関係

田能村竹田(1777年 - 1835年)は、岡藩の医師の家に生まれ、後に南画家として名を馳せました。​竹田は幼少期から藩校・由学館で学び、淵野真斎や渡辺蓬島らに絵を学びました。 ​

淵野真斎は、岡藩における南画の先駆者として、その技術と精神を次世代に伝え、地域の文化発展に大きく貢献しました。​