中林竹渓なかばやしちくけい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 中林 竹渓(なかばやし ちくけい、文化13年(1816年) - 慶応3年4月22日(1867年5月25日))は江戸時代末期の 南画家。中林竹洞の長男。京都出身。通称を金吾、名は成業、字は紹父。竹渓は号で、別号に臥河居士。 中林竹渓(なかばやし ちくけい、1816年 - 1867年)は、江戸時代末期の南画家であり、父である中林竹洞の長男として京都に生まれました。 通称は金吾、名は成業、字は紹父、号は竹渓、別号に臥河居士があります。 生涯と画業 幼少期より父・竹洞に絵を学び、父子合作の作品も残しています。30歳の頃には長崎を訪れ、同時期に父の親友である山本梅逸にも師事したとされています。その後、円山・四条派、南蘋派、土佐派の技法を学び、実物写生も積極的に行いました。壮年期には、復古思潮の影響から加藤清正や楠木正成などの武将を描いた作品も多く残しています。 作品と評価 竹渓の作品は、文人画にとどまらず、復古大和絵風の歴史人物画や円山四条派風の幽霊画など、多岐にわたります。これは、幕末における絵画の需要が多岐にわたり、竹渓がそれに応えるだけの技量を有していたことを示しています。 代表作として、名古屋市博物館所蔵の「琵琶湖真景図」があり、琵琶湖の風景を詳細に描写した作品として知られています。 人物像 竹渓は、その奔放な性格や奇行でも知られています。例えば、尾張藩の重臣の来訪を裸で迎えたり、画友と画論を戦わせた末に決闘を試みたりしたと伝えられています。しかし、その作品からは、日々真摯に画技研鑽に勤しんだ姿が浮かび上がってきます。 竹渓の多彩な作品と独特の生涯は、幕末の日本画壇において特筆すべき存在として評価されています。 |