住吉弘貫すみよしひろつら

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 幕末の土佐派の画家。初名は広定・弘定、のち弘貫と改める。通称内記。広行の次男。江戸後期の住吉派の名手といわれた。兄広尚の後を嗣ぎ幕府の御用絵師となるが弘貫の代になって御用絵師が旗本と同格になった。文久3年(1863)歿、71才。

住吉弘貫(すみよし ひろつら、生没年不詳)

**住吉弘貫(すみよし ひろつら)は、室町時代後期から安土桃山時代にかけて活躍した絵師であり、住吉派(すみよしは)の祖とされる人物です。彼は、狩野派と並ぶ重要な画派である住吉派の基礎を築いたと考えられています。日本の伝統的な大和絵(やまとえ)**の技法を受け継ぎつつ、新たな表現を生み出したとされています。

1. 生涯

① 室町時代から桃山時代の絵師
生年や詳細な経歴は不明ですが、16世紀(1500年代)頃に活躍したと推測される。
室町幕府の庇護を受け、大和絵の技法を駆使して屏風絵や絵巻物を制作したとされる。
住吉派の祖として位置づけられるが、彼自身が住吉派という流派を確立したのかどうかは不明。
② 住吉派の始祖としての位置付け
住吉派は、江戸時代に住吉如慶(1599年~1670年)が正式に確立することになるが、住吉弘貫はその前身となる存在。
彼の画風は、後の住吉派の特徴である「大和絵の復興」と深く関わっていた可能性が高い。
③ 作品や活動の記録の乏しさ
弘貫に関する記録は極めて少なく、作品の現存もほとんど確認されていない。
しかし、後の住吉派の画家たちが「住吉弘貫を始祖」として伝えていることから、何らかの影響力を持っていたと考えられる。
2. 画風と特徴

住吉弘貫の画風については、直接的な作品が残っていないため、詳細は不明ですが、以下のような特徴があったと推測されます。

① 大和絵の技法を継承
平安・鎌倉時代に発展した大和絵の伝統を受け継いだとされる。
物語絵巻や風景画を得意とし、装飾的な表現が多かった可能性がある。
② 狩野派とは異なる独自の表現
室町時代後期は、狩野派(かのうは)が日本画壇を支配していた時代。
その中で、住吉弘貫は狩野派とは異なる表現を模索し、大和絵の技法を活かした作品を描いたとされる。
③ 住吉派の基礎を築いた
彼の技法や作風は、後の**住吉如慶(すみよし じょけい)や住吉具慶(すみよし ぐけい)**によって受け継がれた。
江戸時代になると、住吉派は幕府の御用絵師となり、日本美術に大きな影響を与えた。
3. 住吉弘貫の影響

住吉弘貫は、直接的な作品が残っていないものの、後の住吉派の画家たちに大きな影響を与えたと考えられています。

① 住吉派の発展
住吉派は、江戸時代になると幕府の御用絵師として重要な役割を果たすようになる。
住吉如慶(すみよし じょけい)が住吉派を正式に確立したが、その基礎となる画風は住吉弘貫の影響を受けていた可能性が高い。
② 大和絵の復興
室町時代後期、狩野派が中国画(宋・元の画風)を取り入れた新しい様式を確立していたが、住吉弘貫は日本の伝統的な大和絵を守ろうとした。
その結果、江戸時代に住吉派が発展する土台ができたと考えられる。
4. まとめ

✅ 住吉弘貫は、室町時代後期から桃山時代に活躍したとされる絵師で、住吉派の祖とされる人物。
✅ 大和絵の伝統を継承し、物語絵巻や風景画を得意としたと推測される。
✅ 詳細な記録や作品は残っていないが、後の住吉如慶や住吉具慶に影響を与えた可能性が高い。
✅ 江戸時代に住吉派が幕府の御用絵師として確立する基盤を作ったと考えられる。

住吉弘貫の具体的な作品は現存していませんが、彼が住吉派の原点を築いたことは、江戸時代の住吉派の絵師たちによって語り継がれています。そのため、日本美術史においても重要な位置を占める人物の一人といえるでしょう。