豪海権僧正不明
時代 | 桃山時代 |
---|---|
カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟 |
プロフィール | 豪海(ごうかい)権僧正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した天台宗の高僧であり、天海大僧正の師として知られています。彼は、延暦寺東塔東谷正覚院の住持を務め、権僧正の位に就きました。 天正18年(1590年)、天海は武蔵国仙波(現在の埼玉県川越市)にある無量寿寺北院(後の喜多院)に移り、豪海に師事しました。この時、天海はそれまでの名「随風」から「天海」と改めています。 豪海の薫陶を受けた天海は、その後、慶長4年(1599年)に豪海の後任として北院の住職となり、徳川家康の側近として活躍しました。 豪海はまた、延暦寺の復興にも尽力しました。天正12年(1584年)には、延暦寺根本中堂・戒壇院の再建に際し、勧進活動を行い、その功績により権僧正に任じられました。 彼の努力により、延暦寺の再興が進み、天台宗の復興に大きく貢献しました。 豪海は慶長13年(1608年)に正覚院院主職を天海に譲り、慶長15年(1610年)に85歳で亡くなりました。 彼の生涯は、天台宗の発展と後進の育成に尽くしたものであり、その教えは弟子たちによって受け継がれました。 |