道元禅師どうげんぜんし
時代 | 鎌倉時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月19日)- 建長5年8月28日(1253年9月22日))は、鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には道元禅師と呼ばれる。徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。『正法眼蔵』は、和辻哲郎、ハイデッガーなど西洋哲学の研究家からも注目を集めた。 道元禅師(どうげん ぜんじ)について 道元禅師(1200年 - 1253年)は、日本の鎌倉時代に活躍した禅僧で、曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖です。中国で禅の教えを学び、日本に帰国後は「只管打坐(しかんたざ)」(ひたすら座禅をする)を中心とした禅を説きました。彼の思想は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』などの著作にまとめられ、日本の仏教史に大きな影響を与えました。 基本情報 項目 内容 生誕 1200年(正治2年) 出身地 京都(藤原氏の家系) 法名 道元(幼名:文殊丸) 宗派 曹洞宗(そうとうしゅう) 主な著作 『正法眼蔵』、『普勧坐禅儀』 入宋 1223年(中国・宋へ渡る) 帰国後の活動 永平寺を建立し、禅の実践を広める 没年 1253年(建長5年) 墓所 永平寺(福井県) 道元禅師の生涯と主な出来事 1. 幼少期 1200年(正治2年)、京都の貴族(藤原家)の家系に生まれる。 幼少期に母を亡くしたことで、生死について深く考えるようになった。 13歳で比叡山延暦寺に入り、天台宗の教えを学ぶ。 しかし、比叡山の仏教に疑問を感じ、真の仏法を求めて新たな道を模索。 2. 禅への目覚めと宋(中国)への渡航 比叡山での修行中、「仏教の本質とは何か?」という問いに悩み、比叡山を離れる。 建仁寺の栄西(日本に禅を伝えた人物)の弟子である**明全(みょうぜん)**に師事し、禅の道に入る。 1223年(貞応2年)、さらに仏教の真理を求め、中国の**宋(南宋)**へ渡る。 3. 中国(宋)での修行 宋に渡った道元は、天童山の如浄(じょじょう)禅師のもとで修行。 如浄の「身心脱落(しんじんだつらく)」(身も心も一切の執着を捨てる)という教えに感銘を受ける。 「ただひたすら座禅をすること(只管打坐)」が仏法の真髄であると確信。 「証を求めるな、ただ座れ」(禅の悟りは特別なものではなく、日々の修行そのもの) 1227年(安貞元年)、修行を終えて帰国。 4. 日本での禅の布教 帰国後、京都で禅を広めるが、当時の仏教界の主流だった天台宗や真言宗との対立が激しく、弾圧を受ける。 1233年(天福元年)、**「興聖寺(こうしょうじ)」**を開き、禅の実践を本格的に開始。 1243年(寛元元年)、都を離れ、福井県の**永平寺(えいへいじ)**を開く。 永平寺は、現在も曹洞宗の総本山として知られる禅寺である。 5. 道元の思想と教え 道元は、仏法の真髄は「ただ座ること(只管打坐)」にあると説きました。 (1) 只管打坐(しかんたざ) 余計なことを考えず、ひたすら座禅をすることが悟りそのものである。 座禅とは、修行でありながら同時に悟りでもある(修証一等)。 特別な体験や知識を求めず、日々の修行そのものが悟りにつながる。 (2) 身心脱落(しんじんだつらく) 「身も心も脱ぎ捨てる」という意味。 執着を捨てることで、真の仏法が体得できる。 (3) 仏法は日常生活の中にある 道元は、単なる座禅だけでなく、「食事」や「掃除」といった日常生活そのものが修行になると説いた。 これを**「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」**といい、すべての行いの中に仏道があるとした。 6. 主な著作 道元は、多くの著作を残し、日本の仏教思想に大きな影響を与えました。 著作 内容 『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』 禅の哲学を詳しく述べた代表作。94巻に及ぶ大作。 『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』 座禅の方法と意義を簡潔に説いた書。 『学道用心集(がくどうようじんしゅう)』 修行する者の心構えを説く。 『正法眼蔵』は、日本の仏教思想の最高峰の一つとされ、現代でも研究され続けています。 7. 晩年と死 永平寺で弟子たちに禅の教えを伝え続ける。 1253年(建長5年)、体調を崩し、京都で弟子の懐奘(えじょう)に看取られながら亡くなる(享年54)。 死後も弟子たちによって曹洞宗が発展し、現在に続く。 道元の影響 **曹洞宗(そうとうしゅう)**として確立され、日本全国に広まる。 「ただ座ること」が重要という教えは、現代の禅にも影響を与えている。 禅の思想は、後に茶道や武士道にも影響を与え、日本文化に深く根付いた。 まとめ 項目 内容 生没年 1200年(正治2年) - 1253年(建長5年) 宗派 曹洞宗の開祖 思想 只管打坐(ただ座る)、身心脱落 代表作 『正法眼蔵』、『普勧坐禅儀』 主な業績 永平寺の建立、禅の普及 影響 武士道・茶道・日本文化全体に影響 道元の教えは、日本の禅の基礎を築き、現在も多くの人々に影響を与え続けています。 |